超「個性派」な英国車たち アストン・ラゴンダ ブリストル412 ロールス・カマルグ(1) 偏見は持たないで

公開 : 2023.12.31 17:45

ブランド支持者から批判的に評価された3台 他に紛れない明確な個性を持つ容姿と走り 再評価すべき1970年代のクラシックを、英国編集部がご紹介

ブランド支持者から、批判的に評価された過去

記録的な高値を更新するクラシックもあれば、そうではない名車も少なくない。多くの人の心を掴みきれないスタイリングが、評価を伸ばせない理由であることも多い。

アメリカのカーデザイナー、故ハーレー・アール氏はこんな言葉を残した。「できる限りのことを尽くします。遠慮せずに。そうでなければ、明日には陳腐化してしまうでしょう」

ダーク・グリーンのアストン マーティン・ラゴンダと、シルバー・グレーのブリストル412、ダーク・ブルーのロールス・ロイス・カマルグ
ダーク・グリーンのアストン マーティン・ラゴンダと、シルバー・グレーのブリストル412、ダーク・ブルーのロールス・ロイス・カマルグ

果たして、アストン マーティン・ラゴンダ、ブリストル412、ロールス・ロイス・カマルグは、そんな言葉と無縁に思えるほど個性的だ。本来のブランドイメージとは、異なるベクトルで生み出されたように思う。

1970年代半ばの発売で、フロントにV型8気筒エンジンを搭載し、3速ATが組まれていたという共通点を持つ。セルフレベリング機能付きのサスペンションも、備わっていた。典型的なブランド支持者から、批判的に評価されたという過去でも一致する。

しかし今回は、冷ややかにご紹介するつもりはない。世間の認識や流行は、日々変化している。以前から好意的に受け止めてきた、筆者の考えへ共感してくださる人も増えてきたようだ。

1970年代の英国車として、偏見を持たずにご覧いただきたい。近年の、存在感を誇示するようなスタイリングにあって、3台は従来以上に輝きを増しているように思う。

ピニンファリーナがスタイリング

ロールス・ロイスのカマルグは、同時期のシルバーシャドーとは相容れない。ラインナップの頂点に君臨する2ドアクーペを作りたいと願った、同社の取締役で後に会長へ就任する、デイビット・プラストフ氏の願いを叶えるため1969年に誕生した。

恐らく、歴代のロールス・ロイスでも特に物議を醸したモデルの1つだろう。着想の原点となったのは、1968年のピニンファリーナ・ベントレー T1クーペ・スペチアーレ。それと同じく、トリノのカロッツエリアにスタイリングが依頼された。

ロールス・ロイス・カマルグ(1975~1986年/英国仕様)
ロールス・ロイス・カマルグ(1975~1986年/英国仕様)

シャシーのベースはシルバーシャドーで、フロアパンは20インチ(508mm)短縮。DY20のコードネームが振られ、1973年の生産開始が目指された。

ところが、1971年にロールス・ロイスは経営破綻に陥り、計画は一時中断される。再生をかけて自動車部門は航空機部門から独立し、ロールス・ロイス・モーターズ社へ再編。新体制下でのカマルグの評価は高く、開発の継続が決まった。

1975年に、グレートブリテン島の中西部、クルーの工場で生産はスタート。ボディは、1978年にパーク・シート・メタル社へ移管されるまで、ロンドンのコーチビルダー、HJマリナー・パークウォード社が成形した。

高級クーペとして、カマルグにはオートエアコンを搭載。小型車1台を購入できるほど、高額な装備だったという。特装部門によるオプションも、ふんだんに用意された。その頃、最も高価な量産車だと呼ばれたことにも、納得できる事実だ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・チャールズワース

    Simon Charlesworth

    英国編集部
  • 撮影

    トニー・ベイカー

    Tony Baker

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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