「ベントレーに並ぶ」優雅さと速さ エンジンはリンカーンの12気筒 アタランタV12(1)

公開 : 2024.01.20 17:45

第二次大戦前に存在した英国の自動車メーカー、アタランタ 独立懸架式サスの先進的なシャシーに比類ないスタイリング 英国編集部が超希少な2台をご紹介

息を呑むほど優雅なスタイリング

今から85年前、クルマ作りを辞めたアタランタ・モーターズ。生産数は26台で、恐らくご存知の読者は極めて限られると思う。それでも、第二次大戦後の実用主義をしのぎ、貴重な一部は現在へ生きながらえている。

AUTOCARでは戦前のクラシックをしばしばご紹介しているが、1937年から1939年に生み出されたアタランタV12の息を呑むようなスタイリングは、比類ないものだろう。同時期のラゴンダやベントレーに並ぶ優雅さと速さを、富裕層へ提供していた。

アタランタV12 4シーター・サルーン(1937〜1939年/英国仕様)
アタランタV12 4シーター・サルーン(1937〜1939年/英国仕様)

英国の自動車雑誌、モーター誌が1939年に実施した試乗テストによれば、公道の平坦な区間で達した最高速度は162.5km/h。0-97km/h加速を、12.0秒でこなした。

その記事では、速さだけでなく操縦性も最上級だと記されている。前後のサスペンションは、当時の英国車で唯一だった独立懸架式。小柄なボディを、安定して走らせた。

ロングノーズのスタイリングは、アールデコ・スタイル。フェンダーは魅惑的にカーブを描き、今回ご登場願った例ではクロームメッキ・バンパーが省かれ、とても上品な佇まいにある。

英国の自動車産業は、1920年代後半から深刻な不況に悩まされていた。1931年にベントレーはロールス・ロイスへ買収されるなど、多くの上級ブランドが、厳しい状況へ追い込まれた。

しかし、1930年代後半に状況は好転。楽観的な雰囲気の中、グレートブリテン島南東部に存在したミドルセックス州のガレージで、アタランタは誕生した。

独立懸架式サスを備えた先進的なシャシー

創業者は、自動車産業で経験を積んでいた。アルフレッド・ゴフ氏は、フレイザー・ナッシュ社でエンジンを設計。ダグラス・ハミル氏とエリック・スコット氏は、トラクターの開発に携わったほか、ダンロップやピストン・メーカーで手腕を振るっていた。

事業の資金を提供したのは、ケンブリッジ大学に在籍していた学生のニール・ワトソン氏とピーター・ホワイトヘッド氏。3人の技術者へ、理想的なクルマの開発を託した。

アタランタV12 4シーター・サルーン(1937〜1939年/英国仕様)
アタランタV12 4シーター・サルーン(1937〜1939年/英国仕様)

ブランド名になったのは、地元に存在した自動車修理店のアタランタ・ガレージ。経営難に陥り、その名が受け継がれた。アタランタとは、本来はギリシャ神話の女神。優れた運動神経と美貌が特長とされ、自動車ブランドにもピッタリといえた。

アタランタ・モーターズの工場は、ロンドン西部に構えられ、アールデコ調の建物に設備が整えられた。エンジンの性能を図るダイナモメーターが用意され、フレイザー・ナッシュ社から3名のスタッフを引き抜き、1936年に創業が始まった。

驚くのが、開発期間の短さ。先進的な技術を踏まえると、注目に値するだろう。

スチール製チャンネル材を用いた、シャシー設計を主導したのはゴフ。独立懸架式サスペンションはトレーリングアーム式で、軽く高強度なヒドミニウム合金が使用された。コイルスプリングはフロントが垂直に、リアが水平に取り付けられた。

ブレーキは、マグネシウム合金製で16インチのドラム。マスターシリンダーは、ロッキード社製のダブルバレルで、片方が故障しても制動力を担保した。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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