5.0LのV8エンジンによるフォーミュラーマシン F5000を振り返る 前編

公開 : 2019.09.14 07:50  更新 : 2020.12.08 10:56

自費で手配したシェブロン製シャシー

ローラT300はアクシデント続きで評判が悪く、「貧弱なローラ」というあだ名が付いていたが、ブライアン・レッドマンがドライブした。「1970年の次の南アフリカではクラッシュし、怪我をしてしまいました」 と振り返るのは、ブライアン・レッドマン。

「4カ月後に復帰すると、シド・テイラー・レーシングからF5000マクラーレンM18をドライブして欲しいと依頼がありました。特に素晴らしいマシンではありませんでしたが、断る理由もなく引き受けたんです。でも、新しいローラ製シャシーは非常に軽量になっていて、時代遅れなことはすぐに分かりました」

F5000カテゴリーのマシン(マクラーレンM18/M10B)
F5000カテゴリーのマシン(マクラーレンM18/M10B)

「そこで、コンストラクターのシェブロン社を率いるデレク・ベネットに、F5000のマシンは作れるか聞いたんです。できるという返事で、期間を尋ねると10週間。価格は当時で3000ポンド(39万円)でしたが、レーシングカーを自分で買ったのはその時だけでです」 エンジンとトランスミッションはテイラーのマシンのものを流用し、レッドマンが手配したシェブロン・シャシーのB24はデビュー戦で優勝。1972年のオールトンパーク・サーキットだった。

「その後シド・テイラーが、タバコブランドからの支援金があり、2万ドル(220万円)を掛けてアメリカのワトキンズ・グレン・インターナショナル・サーキットに向かうと話したのです。リバプールからクルマを出荷し、ニューヨークでステーションワゴンを買いました。レースではバッテリーが上がるまで、2位を走っていたのです」 と話すレッドマン。

続きは後編にて。

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