コッパ・ディ東京2021 珠玉の名車、都心に出現 都内で楽しむクラシックカー・ラリー

公開 : 2021.12.17 12:17  更新 : 2022.11.01 08:52

クラシックカー・ファンにはおなじみとなった「コッパ・ディ東京2021」が開催されました。コロナ禍が一段落したことから、珠玉といえる名車が東京を駆け抜けました。

15回目を迎えたコッパ・ディ東京

text:Kyosuke Sawai(沢井恭介)
photo:Toru Numata(沼田 亨)、Junichi Okumura(奥村純一)、Shigeru Tokunaga(徳永 茂)

 
今回で15回目となるコッパ・ディ東京が11月23日に開かれ、いつもの汐留イタリア街をスタート&フィニッシュとして、都心の名跡を巡るルートで盛大に行われた。

コッパ・ディ東京は、第1回が台東区からの依頼で上野の国立博物館で開催され、2回目からはサンマリノ共和国全権大使の支援により、舞台を汐留イタリア街に移して現在に至る。

汐留のイタリア街なくしてはコッパ・ディ東京の現在はなかったといえる。
汐留のイタリア街なくしてはコッパ・ディ東京の現在はなかったといえる。    奥村純一

今年も昨年に続きコロナ禍の中での開催となったが、正常な環境へ回復しつつあるのだろうか、夏頃に比べても明るい状況となり、参加者にも観客にもひと頃の緊張は消えて、リラックスしたムードが漂っていた。

今年はいつもの主役であるイタリアの小型バルケッタに加え、ヴィンテージ期の存在感あるモデルが数多く参加したのが注目ポイントだ。

このほか各年代の各メーカーの様々なモデルが集まり、さながら動くミュージアムという様相となった。

イタリア街への拘り

コッパ・ディ東京を象徴する場所であり、スタート・フィニッシュ地点となるイタリア街は、東京のなかでもユニークな街づくりをしている。

この区域に造られる建物は、消防署やホテルなども含めてイタリア建築デザインの要素を入れることが基準となっている。

イタリア街は日本で最もヨーロッパ的な広場といえる。それだけにヨーロッパ車がとても似合う。
イタリア街は日本で最もヨーロッパ的な広場といえる。それだけにヨーロッパ車がとても似合う。    奥村純一

また、石畳や歩道と車道の段差がない道や、花壇の設置など、イタリア的な景観となるよう特殊な街造りをしている。

何より、街の中心に何も無い空間である広場が作られたことが一番の特徴だ。この広場があるからこそ、この街がイタリア街の名前にふさわしい機能を持ち、存在する意義があるといってもよいほどだ。

それだけに、この広場はTVや雑誌の撮影にもよく使われている。この街並みを背景にして撮影すると、自ずと絵のように美しい光景となるのだ。

珠玉の名車が集う

イタリア街は日本の中で最もヨーロッパ的な広場といえる。それゆえに、ここではヨーロッパ車がとても似合う。日本でヨーロッパ車の生まれた環境にここほど近いところはないだろう。

しかも、コッパ・ディ東京では、往時のミッレ・ミリアのヴィットリア広場よりも、濃い密度でクルマたちが集まるのだ。そこにやってくるクルマときたら、玉石混交ではなく、玉ばかりである。

最初のチェックポイントの神田明神では、境内に参加車を並べ交通安全が祈願された。左手前は1928年ロールス・ロイス・ファントムI
最初のチェックポイントの神田明神では、境内に参加車を並べ交通安全が祈願された。左手前は1928年ロールス・ロイスファントムI    徳永 茂

それぞれのクルマにはオーナーの愛情が注がれ、手塩にかけられて育まれてきた珠玉の名車たちばかりである。それだけに、どのクルマもこの舞台でひときわ輝いている。

走行ルートは江戸時代からの東京の中心部が選ばれている。いつも走り慣れた東京都内でありながら、どこか日常的ではない、カレイドスコープのなかに飛び込んだような超現実的な体験ができるのが、コッパ・ディ東京の格別な魅力だ。

記事に関わった人々

  • 編集

    上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。

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