英国の制限速度事情 今も論争耐えない「70マイル」の上限 1965年12月に起きたこと

公開 : 2023.12.11 18:45

・58年前のちょうど今頃、英国の高速道路に70マイルの制限速度が導入。
・制限にどれほど意味がある? 各方面から懐疑的な意見が上がるも……。
・1965年12月の出来事を振り返る。

賛否両論の70マイル制限

1965年12月、英国の高速道路に初めて時速70マイル(約113km/h)の制限速度が定められた。インターネットもない時代、英国では多くの論争を巻き起こし、今日に至るまで賛否が分かれている。

当時、本誌の英国編集部は半ばため息をつくようにして、次のように書いている。「1958年に英国初の高速道路が開通するはるか以前から、高速道路での制限速度を求める声は憂鬱なほど定期的に聞かれ続けてきた」

1965年12月、M4高速道路に70マイルの制限速度標識を掲げるトム・フレイザー英運輸大臣。
1965年12月、M4高速道路に70マイルの制限速度標識を掲げるトム・フレイザー英運輸大臣。

「そして今回、(政府機関の)全国交通安全協議会が、日没後の制限速度を時速50マイル(80km/h)から時速70マイルにすることを提案したと報じられている」

「霧の中(M6)で起きた複数台を巻き込む一連の悲惨な交通事故から、どうしてこのようなことになったのか、理解しがたい」

実際、地元の警察署長はテレビ番組で、この事故が起きたときの車速は時速30マイル(48km/h)以下だったと認めている。

「英国の高速道路をよく利用する人なら知っているように、制限速度は必要ない」と本誌は主張し、ドライバーたちがスピードメーターを凝視することの危険性を指摘した。

労働党のトム・フレイザー運輸大臣が「断固として」取り組み、標準の制限速度を時速70マイルに、霧の発生時には時速30マイルに定め、4か月間の実地試験を開始したとき、我々は愕然とした。

「なぜこのようなことが行われたのか? その答えの1つは、このような制限速度が事故の数や深刻さを減らせるかどうか、何年も議論や実験が重ねられてきたにもかかわらず、誰も確かなことを知らないからである。この試験により、貴重な情報が得られるかもしれない」

「もう1つの答えは、これまでのところ、道路建設を遅らせることを主な主張としてきた政府が、何らかの劇的な動きをせざるを得なくなったということかもしれない」

「間違いなく、運転経験がほとんどなく、長期的な影響も理解していない、過半数の誠実な一般市民が、この決定に拍手喝采を送るだろう」

その影響には、「外側の車線を時速60マイルで巡航するのが好きで、追い越すものが何もないときでさえ、速いクルマに道を譲ることをまったく拒否する、あの異常な人物」の増殖も含まれるだろうと、本誌は予見していた。

「最初の数か月を過ぎれば、この規制がすぐに軽蔑の対象となることは目に見えている。速度に関する自動車運転法が公然と無視されていた時代に逆戻りするのは残念なことだ」

記事に関わった人々

  • 執筆

    クリス・カルマー

    Kris Culmer

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    平成4年生まれ。テレビゲームで自動車の運転を覚えた名古屋人。ひょんなことから脱サラし、自動車メディアで翻訳記事を書くことに。無鉄砲にも令和5年から【自動車ライター】を名乗る。「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。イチゴとトマトとイクラが大好物。

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