当時は惨めな小型車だった ダラック10/12HP スパイカー12/16HP ベテランカー・ランの功績車(2)

公開 : 2023.11.19 17:46

1953年の映画に登場したダラックとスパイカー ベテランカー・ランを現代へ継続させた立役者 約120年前の2台を英国編集部がご紹介

映画出演の仕様が忠実に保たれたダラック

映画「ジュヌヴィエーヴ」のヒットにより、ダラック10/12HPも想像以上の注目を集めた。オーナーのノーマン・リーブス氏は、それに嫌気が差し売却を決意。ニュージーランドのジョージ・ギルトラップ氏と契約が結ばれた。

南半球へ渡ったダラックは、1958年からオーストラリアのギルトラップ博物館へ展示され、来場者を喜ばせた。1966年に彼は亡くなるが、1989年まで家族が保管し、その後ポール・テリー氏が購入する。

ダラック10/12HP ジュヌヴィエーヴ(1904年)
ダラック10/12HP ジュヌヴィエーヴ(1904年)

彼は、オーストラリアのエスプラネード・エクストラバガンザ自動車博物館のオーナーで、購入額は28万5302ポンドだったという。映画の主役だったとしても、相当な金額といえた。

以前の取材で、オリジナルではなく映画に出演した仕様を忠実に保つという、テリーの考えをお聞きしている。「ジュヌヴィエーヴの状態にしておくか、少し悩みました。でも、大きな決断ではありませんでした」

前オーナー時代に走り込まれており、トランスミッションとリアアクスルはリビルドが必要だった。エンジンブロックの亀裂は溶接で埋められ、36年ぶりに、1992年のベテランカー・ランへ走行可能な状態へ戻された。

しかし、彼は開催直前にヘリコプター事故でこの世を去ってしまう。映画にも出演し、同乗予定だった女優のダイナ・シェリダン氏は、「ジュヌヴィエーヴを英国へ戻せたことが、唯一の良い結果になったといえます」。と言葉を残している。

現在の所有者は、エバート・ローマン氏。ネザーランドのローマン博物館を主宰し、ベテランカー・ランにも定期的に参加している。

1つの博物館へ収蔵された2台

かたや、スパイカー12/16HPのオーナー、フランク・リース氏は、映画で高まった人気を楽しんだようだ。撮影が終わるとフロントガラスが取り付けられ、ボディはイエローから淡いグリーンへ塗装された。

彼は1964年にこの世を去るまで大切に維持し、母国のネザーランドへクルマを戻して欲しいという遺言を残した。その遺志の通り、中西部にあるデルーネンのオートトロン自動車博物館へ運ばれ、40年後の2004年にローマン博物館へ引き取られた。

スパイカー12/16HP ダブルフェートン(1904〜1907年)
スパイカー12/16HP ダブルフェートン(1904〜1907年)

果たして、映画に出演した2台が1つの博物館へ収蔵されることになった。改めて並べてみると、非常に印象的なペアだ。

スパイカーは4シーターで、大きく立派に見える。真鍮の部品がそこかしこで輝き、主役級の存在感がある。他方、ダラックは2シーターで小ぶり。ボディは簡素で、ステアリングホイールが宙に飛び出て見える。ベンチシートの位置は不自然なほど高い。

実際の走りも、スパイカーの方が安定している。12/16HPに載るエンジンは、ヤコバス・スパイカー氏が設計した2544ccのサイドバルブ4気筒。3速のトランスミッションと、当時としては先進的なプロペラシャフトを介して、リアアクスルが駆動される。

点火タイミングを遅らせて、始動用のクランクハンドルを回すと、1回転目で即座に始動。安定したアイドリングが始まる。キャビンの左側に並ぶ4本のシリンダーで、潤滑油が正しく流れているか確認する。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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