3年弱に26台の「超」希少車 戦後のブガッティの空白を埋めたかも? アタランタV12(2)

公開 : 2024.01.20 17:46

第二次大戦前に存在した英国の自動車メーカー、アタランタ 独立懸架式サスの先進的なシャシーに比類ないスタイリング 英国編集部が超希少な2台をご紹介

ロールス・ロイス20/25用エンジンへ換装

戦前に作られた26台の内、現存するアタランタは8台と考えられるが、V12エンジンを載せた例で、完璧な状態にあるのは4台のみ。今回の2台は丁寧なレストアを受け、仕上がりは素晴らしい。

特にFLY 862のナンバーで登録された、ブラックの2ドア・4シーターサルーンは、アタランタ独自の美学が端的に表現されている。初代オーナーは、W&Aギルビー蒸留所の代表、ヘンリー・ギルビー氏。1939年4月に登録された。

アタランタV12 4シーター・サルーン(1937〜1939年/英国仕様)
アタランタV12 4シーター・サルーン(1937〜1939年/英国仕様)

1949年に売却され、オーナーは2度変わり、1951年にレナード・ホセランド氏が入手。息子のマーク・ホセランド氏へ継承されつつ、1970年まで維持された。

英国のヴィンテージ・スポーツカークラブ(VSCC)のメンバーだったマークは、アメリカ製モデルと速さを競うことを考えた。だがクラブのイベントでは、アメリカ製エンジンを積んだ英国車の参加は認められていなかった。

そこで、ロールス・ロイス20/25用エンジンへ換装。ツインSUキャブレターを載せ、エグゾーストも新調し、160km/hでの巡航を許容する性能が与えられた。

さらに彼は、戦後のアタランタ・ブランド再生にも貢献したリチャード・ゲイラード・シャトック氏へ、サスペンションやインボード・ドラムブレーキの交換を依頼。能力を高めた2ドアサルーンは、様々なイベントで優れた実力を披露した。

1970年にスタンリー・マカディ氏が買い取るが、自宅へ自走で連れ帰る途中、クラッチが故障したらしい。以降、亡くなるまでアタランタV12は保管されていたが、修理を受けることはなかった。

見惚れるボディ 心が奪われるインテリア

救世主になったのが、ウォード家。2010年に名義を取得し、リンカーン・ゼファー用V12エンジンへ戻された。丁寧なレストアでは、ボディにアイボリーのコーチラインが施され、スポークホイールのスピナーに輝くアタランタのロゴも磨き出された。

その仕上がりには、見惚れてしまう。スポーティなプロポーションは、ドラマチック。リアヒンジのドアを開くと、インテリアにも心が奪われる。

アタランタV12 4シーター・サルーン(1937〜1939年/英国仕様)
アタランタV12 4シーター・サルーン(1937〜1939年/英国仕様)

シートは、意外なほど硬く狭い。足元は広く、ペダルまで両足を伸ばせる。ステアリングホイールは大きな4スポーク。ステアリングコラムはクロームメッキで処理され、贅沢なウッドパネルに、ブラックとクリームのメーターが並ぶ。細部まで精巧だ。

アールデコ調の内装はオリジナルではないものの、1939年の姿が再現されている。フロントガラス越しに、伸びやかなボンネットが広がり、両側でふくよかなフロントフェンダーが弧を描く。ヘッドライトのドームが、景色を映す。素晴らしい眺めだ。

4.4L V12エンジンは、大きな唸りとともに始動。1速が横に飛び出た、ドッグレッグ・パターンの3速マニュアルは扱いやすい。ギア比は高く、発進時は長めの半クラッチが必要。2速で心地良く感じられるのは、55km/hを過ぎてから。

既に12年間を費やしたウォード家だが、調整は不完全だと考えている。確かに、ステアリングホイールは重く、反応は若干曖昧。ブレーキや乗り心地も、期待ほど良くはなかった。全体的に調和していない印象は、今後時間をかけて煮詰められていくはず。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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