生産を継いだのはリッチな「日本人」 ミドルブリッジ・シミターGTE(1) 王女ご愛用スポーツワゴン

公開 : 2024.07.06 17:45

英国王室アン王女が愛用した、ミドルブリッジ・シミターGTE 一定の支持を創出したスポーツワゴン市場 裕福な日本人とアストンの元技術者が生産を継承 英編集部が貴重な1台をご紹介

アン王女が大切にしたミドルブリッジ・シミター

英国王室にまつわるクラシックカーは少なくない。だが、アン王女が運転したスポーツワゴンほど、英国人の記憶に刻まれたモデルは多くない。

新車で購入し、2023年まで王女が所有していたGTEは、ミドルブリッジ・シミター社によって製造された79台のうちの1台。オリジナルは、リライアント社が製造していたシミター GTEながら、大幅な改良が施されていた。

ミドルブリッジ・シミター GTE(1989〜1990年/英国仕様)
ミドルブリッジ・シミター GTE(1989〜1990年/英国仕様)

王室の家系の1つ、ウィンザー家との結びつきは、アン王女以前から始まっている。1965年に、デザインハウスのオーグル・デザイン社とガラス製造業のピルキントン社による協業で、リライアント・シミター GTSが製作されたのがきっかけだった。

その年のイタリア・トリノ・モーターショーへ出展されると、アン王女の父、フィリップ王配の目にとまったらしい。個人的なクルマとして、このスポーツワゴンのプロトタイプが貸し出され、2年ほど運転されている。

その間に20歳の誕生日を迎えたのが、アン王女。プレゼントに欲しいクルマを尋ねられた時、彼女が希望したのが、そのシミター GTSだったというわけ。

量産モデルとして、リライアント・シミター GTEは1968年に発売される。プロトタイプの特長だった、ガラスルーフは省略されていたが。

大きなテールゲートを備え、ルーフ後端が跳ね上がり、シルエットはスポーティ。コーチビルダーが手掛けた特殊なシューティングブレークを除いて、史上初となる2ドアの量産スポーツワゴンといえた。

新しい市場を創出したスポーツワゴン

スタイリッシュなスポーツワゴンは、新しい市場を創出。リライアントとしては成功作となり、ベースになったシミター・クーペは1970年に生産が終了されるほどだった。

他の自動車メーカーも、このカテゴリーの可能性へ着目。ボルボは1800ESを、ロータスはエリートを、ランチアはベータ HPEをリリースした。規模の小さいジェンセンも、GTを開発している。

ミドルブリッジ・シミター GTE(1989〜1990年/英国仕様)
ミドルブリッジ・シミター GTE(1989〜1990年/英国仕様)

優れた実用性と動力性能を両立させ、英国の富裕層の間でシミター GTEの人気は高かった。TV番組の司会者、ノエル・エドモンズ氏や、俳優のウィリアム・ローチ氏といったセレブも所有していた。

落ち着いたスタイリングをまとい、派手な印象を市民に与えたくない、英国王室にとっても理想的だった。もっとも、最高出力は150psと控えめでも、0-97km/h加速を7.5秒でこなす俊足。アン王女は、何度もスピード違反で捕まっているが。

彼女は、このスポーツワゴンを相当に気に入っていた。20歳のプレゼント以降、1973年には2台目を購入。それも距離が伸びると買い替え、最終的に8台を乗り継いでいる。

むしろ王女は、リライアントというメーカーが好きだったようだ。横転することでも知られる、3輪自動車のロビンも所有し、メディアで度々紹介されている。

グレートブリテン島南西部にある別荘、ガットクーム・パーク・レジデンスでは、小さなステーションワゴン、リライアント・キトゥンを運転していた。これも複数台が購入され、農作業の移動手段にしていた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ミドルブリッジ・シミターGTEの前後関係

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