1日にスピード違反2回! ミドルブリッジ・シミターGTE(2) 王室へピッタリのグランドツアラー

公開 : 2024.07.06 17:46

英国王室アン王女が愛用した、ミドルブリッジ・シミターGTE 一定の支持を創出したスポーツワゴン市場 裕福な日本人とアストンの元技術者が生産を継承 英編集部が貴重な1台をご紹介

同日に2回もスピード違反で捕まった王女

英国王室のアン王女も、ミドルブリッジ・シミター GTEを1台注文。しかし希望の納品日までに準備は間に合わず、先行して生産されたプロトタイプが貸し出された。マスコミの注目度も高かった。

王女用に作られたGTEは、ミドルブリッジ・シミターが製造した6台目のスポーツワゴン。シャシー番号は5で、1988年12月にラインオフしている。1989年に届けられ、同日に2回もスピード違反で捕まるという、負の偉業もそのクルマで残している。

ミドルブリッジ・シミター GTE(1989〜1990年/英国仕様)
ミドルブリッジ・シミター GTE(1989〜1990年/英国仕様)

ボディカラーは、パールサファイア・グリーン。インテリアはブラック・ベロアで仕立てられ、オプションも満載だった。メーターパネルの右側には、スイッチで操作するクルーズコントロールも実装。ヘッドライト・ワイパーや自動車電話も備わった。

彼女は最新のGTEを気に入り、積極的に運転した。開発を率いた中内康児氏の期待以上に、活用されたのではないかと思う。

ところが、1990年11月にGTEの生産は終了してしまう。受注は当初から芳しくなく、生産目標は1週間に4台だったが、1・2台で低迷。事業は行き詰まっていた。

加えて、1990年にF1チームのブラバムを買収するが、参戦に伴い資金は枯渇。ル・マンを優勝したクラシックレーサー、ベントレー・オールド・ナンバー1の購入失敗が、とどめを刺した。

資金が必要になった創業者の中内とデニス・ナーシー氏は、ミドルブリッジ・シミター社を売却。大量の在庫車両だけでなく、リライアントから取得した権利も手放された。

オーナーズクラブのメンバーでもあった

アン王女は、それまで3年毎にシミター GTEを買い替えていたが、8台目は35年以上も大切にした。走行距離は18万3000km以上に達している。買い替えが不可能になったこともあるが、彼女にとって最も長く所有したクルマになった。

1420 Hのナンバープレートは、当初から。彼女は、20歳の誕生日に第14/20王立軽騎兵連隊の連隊長へ任命されており、それにちなんだ番号だ。

ミドルブリッジ・シミター GTEと、英国王室のアン王女
ミドルブリッジ・シミター GTEと、英国王室のアン王女

ボンネット中央に載るマスコットは、跳ね馬と女性騎手をカタチどったもの。1976年のモントリオール・オリンピックへアン王女が出場したことを記念したもので、それ以降の歴代のシミター GTEにも与えられてきた。

アン王女は、オーナーズクラブのメンバーでもあった。自身の別荘、ガットクーム・パーク・レジデンスでは、2014年にミドルブリッジ・シミター社の25周年記念イベントが開かれている。

彼女がこのスポーツワゴンを手放したのは、72歳になった2023年。既に乗る機会は減っていた。安全性を理由に任意保険の契約が難しくなり、王室のセキュリティチームも運転には難色を示していた。

由緒正しいクルマの、2番目のオーナーになったのはシミター・オーナーズクラブのメンバー。可能な限り、オリジナルのまま公開することを条件に。

塗装は補修され、徹底的な整備を受けたが、状態は悪くなかった。年式を考えると走行距離も長くなく、王女が乗っていたまま見事に保たれている。現在は自動車博物館、グレート・ブリティッシュカー・ジャーニーに展示されている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ミドルブリッジ・シミターGTEの前後関係

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