二条城で美を競う コンコルソ・デレガンツァ 京都 後編

2018.4.13-14

京都二条城で開かれた「コンコルソ・デレガンツァ京都」のレポート後篇です。ここではザガートが手掛けた1980年代以降のモダンモデルと、その他のメーカー/カロッツェリアの手による魅力的な参加車たちをご覧いただきましょう。

text & photo:Kunio Okada(岡田邦雄)

コンコルソ・デレガンツァ誕生の経緯は

最初の自動車はエンジンやタイヤなどの走るための装置を備えたフレームに、操縦する人の座席を載せただけの物だった。それに馬車メーカーが製作したボディを載せると、実用的な乗り物になった。それゆえに黎明期の自動車は『馬なし馬車』と呼ばれたものだ。当時は、自動車メーカーは独立したフレームと走るだけの機構を生産し、それにボディ製造専門工房がボディを製作するという分業が一般的だった。

自動車メーカーが自社でボディまで製作したり、ボディ製造専門工房が同一の仕様のボディを何台も製作することもあったが、いずれにしても、フレームとボディは別個のものだったので、顧客の注文によって製作されるビスポーク的なボディが多かった。
それゆえに、1930年代には、顧客の依頼で様々なカロッツェリア(ボディ製造専門工房)によって製作されたクルマの美しさや伊達さを競い合う、コンコルソ・デレガンツァ(コンコース・デレガンス)が開催されるようになったのだった。

現代の多くのクルマがそうであるような、フレームもボディも一体になったモノコック構造の車体は第2次世界大戦後から主流になった。それによって工場での一貫した大量生産により品質の標準化とコストダウンが計られたが、それでも高級車には、顧客の要望を叶える独自のボディが載せられるケースは存続した。

イタリアのカロッツェリアの存在

特にイタリアでは、戦後もカロッツェリアによる独自のボディを架装することが多かった。もっともベイシックな大衆車であったフィアット600でさえ、モノコック・ボディでありながら、それをベースにして様々なカロッツェリアが独自のモデルを作っていたほどだ。イギリス、フランス、ドイツでは多くのボディ製造専門メーカーが消滅していったのに、イタリアでは1950年代を通して、実に多くのカロッツェリアが成り立っていた。それどころか、1950年代の終わりから、イタリアのカロッツェリアのデザインが、GM、フォードクライスラーというアメリカ・デトロイトのビッグスリーのアメリカン・デザインと並んで、世界の自動車デザインをリードする2大潮流となったのであった。そんなアメリカの3大メーカーでさえ、イタリアのカロッツェリアにデザインを依頼することもあった。

またフランスのプジョーなどは1960年代から1970年代にかけてはほとんどの生産車がカロッツェリア・ピニンファリーナによるデザインだったし、ドイツのVWもビートルのスポーツモデルのデザインをカロッツェリア・ギアに委ね、社運をかけた新型VWである初代ゴルフもイタリアのカロッツェリアに依頼して開発されたのだった。日本でも、トヨタ、ニッサン、マツダホンダいすゞ日野スズキスバルダイハツなど、ほとんどのメーカーが、イタリアのカロッツェリアが関与したクルマを生産してきた。

かつては、フィアット、アルファ・ロメオランチアフェラーリマセラティランボルギーニなど、全てと言っていいほどイタリアの自動車メーカーの製品はカロッツェリアのデザインによるものが主力だった。それが近年に至って各メーカーとも自社によるデザインが中心となり、カロッツェリアは存亡の危機に見舞われた。2019年の今、カロッツェリアは以前のような活動を継続できなくなり、消滅したところが多い。

時代がザガートに追いついた

そのなかで、名門ザガートは何度も存続の危機に見舞われながらも、カロッツェリアとしての活動を続け、今年で100周年という記念すべき年を迎えた。それには、初代ウーゴ・ザガートから直系で3代目にあたるアンドレア・ザガートの力が大きいだろう。そして、原田則彦による、ザガートの伝統を引き継ぎながら、さらに発展させたデザインは、21世紀が進むにつれて、その真価がようやく理解されようとしている。時代がやっと原田則彦=ザガートに追いついてきたようだ。

筆者は、若い頃に1960年代のアルファ・ロメオSZ2(S/N:206、207の2台)と、TZ1(S/N:063)を所有し、ヒストリックカー・レースに参加してきたし、その後も日常の足としてSZ(ES30)を愛用していた。老年に達した現在の最後の夢は原田則彦さんのデザインによるザガートを注文することである。それは見果てぬ夢のまま、終わってしまうのだろうか。それは、それでいいだろう。原田さんのデザインするクルマこそが、ドリームカー。夢と等価であり、永遠に夢見続けるのにふさわしいからである。

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