【希少なヒストリックカーが集結】いにしえと最新の東京を巡るヒストリックカー・ラリー 第14回コッパ ディ東京

公開 : 2020.12.29 20:25  更新 : 2021.03.05 21:42

今年のコッパ ディ東京は密を避けるために2日に分けて第13回と第14回として行われました。江戸時代以前に建立された寺社から最新の湾岸部を、稀代のヒストリックカーたちが駆け抜けました。参加した全車をご紹介。

100年前からある道を走る

text:Gumi Ogata(小方茱萸)
photo:Takahiro Shicinohe(七戸隆弘)、Junichi Okumura(奥村純一)、Norio Kubota(久保田記生)

 
2020年のコッパ ディ東京は、関係者の協議に基づき東京都港区の許可を得て開催できる運びとなった。

ただし感染対策として密を避けるため、昨年までのように130台を超える参加車両が一堂に集まることは避け、11月22日と23日の2日間に分けるれた。両日は独立したイベントとされ、第13回と第14回として開催された。

ルートには江戸時代に建立された名所が数多く盛り込まれた。こちらは芝の増上寺から大門に向かうフィアット500トポリーノ。
ルートには江戸時代に建立された名所が数多く盛り込まれた。こちらは芝の増上寺から大門に向かうフィアット500トポリーノ。    七戸隆弘

コッパ ディ東京のルートを100年前の地図に乗せると、ほとんどの道はそのまま重なる。もちろん1920年当時には埋め立て前で、海の上という部分もあるが…。東京の街の姿は変わっても、道は変わらずに長い歴史があることがよく分かる。すべての道はローマに通ずると言われるが、日本の道もすべてに繋がっていて、それは人と共に経済や文化を運ぶ動脈機能を果たしている。20世紀以来、自動車がその重要な役目を担ってきた。

コッパ ディ東京では、東京の歴史的なポイントをいくつか立ち寄る。今戸神社のあたりは、江戸時代よりもっと古くからの歴史があり、大いに栄えた港であったが、その頃の面影のかけらもない。しかし、今もパワースポットとして人気があるのは、何かしら地霊のような威力がその地にはあるのだろう。

神田明神も江戸時代以前の平 将門由縁の神社だ。芝の増上寺と上野の寛永寺は、江戸時代の徳川家の菩提寺。家康が江戸を作る前からの歴史がある江戸城/皇居は、やはり江戸/東京の中心で、その敷地内であった箇所もルートに組み入れた。

神田川の一番下流に架かる柳橋のあたりは、かつては江戸/東京で最も粋なお姉さんたちがいた遊興の地であり、隅田川に架かった橋としては2番目に古い歴史を持つ両国橋は、交通の要所として活気があった。

江戸や明治の道をヒストリックカーが行く

しかしながら、明治はそれまでの江戸を早急に作り変えていった。徳川家康の天下普請の発令で江戸時代に埋め立てられて武家屋敷が並んでいた汐留は、明治5/1872年に日本の最初の鉄道の開通に合わせて接収されて、新橋駅という東京の窓口となった。

大正3/1914年に東京駅ができると、新橋駅の名前は汐留駅となり貨物専用駅として活況を呈した。その機能を時代遅れにしたのは、他ならぬ自動車による運送の発展だ。イタリア街の中心の広場は、まさしくその貨物専用駅の跡地である。

参加者は会場へ入場する際に検温と消毒が行われた。今や欠かせぬ感染防止策が徹底して行われた。
参加者は会場へ入場する際に検温と消毒が行われた。今や欠かせぬ感染防止策が徹底して行われた。    七戸隆弘

道こそ昔と重なっていても周囲の風景は常に変化していく東京。それでもコッパ ディ東京のルートでは、明治の面影や時には江戸の残り香を感じることもある。そこを100年前や50年前に造られた車たちが駆け抜けていくのが、コッパ ディ東京というヒストリックカーのイベントの醍醐味であるのだろう。

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