懐かしのクルマが続々スキー場へ! 50年前のスキーリゾート、志賀高原のクルマ事情をリバイバル・レポート(前編) フェアレディZからVWビートルまでお宝車の写真を一挙公開

公開 : 2023.03.07 20:50

時は1975年。若者の冬のレジャーはといえばスキーだった時代。当時のゲレンデを彩った懐かしの名車たちを若き日の笹本編集長の写真と共にリバイバル・レポートします。

まずは編集長のフェアレディZから

AUTOCAR JAPAN編集長の笹本は、若かりし頃、フェアレディZ S30Sを手に入れ、スキーラックをルーフにつけてスキー板を乗せ、志賀高原や白馬によく通っていた。1975年の頃、スキーに飽きるとゲレンデ脇の駐車場に停まっている輸入車やスポーツカーなどのクルマ達のカー・ウオッチングを何回も行ったものだ。当時は、現在と異なり、SUVはほぼ皆無で、スポーツタイプのクルマは勿論、中には、アメ車にチェーンを巻いて登って来ている人もいて、とても興味深く面白かった。

先日、偶々、雑誌モデル・カーズの長尾君から、当時のフェアレディZの雪道姿を模型に再現したい、との話があり、昔のネガを探していたら、当時のフィルムを大量に発見したので、ぜひ、皆様とも共有したいと思った次第だ。

イエローの初代フェアレディZ S30S。お金が無くて、4速マニュアルのベーシック・モデルしか買えなかった。勿論、中古である。大好きで、これまでで一番沢山ワックス掛けをしたクルマ。Zには、この形のスキーキャリアが一番似合うと思っていた。
イエローの初代フェアレディZ S30S。お金が無くて、4速マニュアルのベーシック・モデルしか買えなかった。勿論、中古である。大好きで、これまでで一番沢山ワックス掛けをしたクルマ。Zには、この形のスキーキャリアが一番似合うと思っていた。    笹本健次

画面を見ると、え、こんなクルマが! という車種も写っていて楽しいが、撮影場所の志賀高原は当時、スキーのメッカと言われたリゾート地で、丸池辺りから熊の湯、または、奥志賀高原まで、幾つものゲレンデが続き、その脇の駐車場には、遠くは大阪や品川、練馬といったナンバープレートのクルマが並んでいた。
まだ、高速道路が東名高速と中央道の一部などしか開通していなかった当時、皆、延々と国道を長時間走ってゲレンデに到着していた。でも当時はそれが当たり前で、殆どの人は峠の下で普通タイヤにチェーンを巻いていた。当時はスパイクタイヤもあったが、装着しているクルマは少なかったと思う。何はともあれ、懐かしいクルマの現役時代をお楽しみあれ。

フォルクスワーゲン・タイプ1

当時、雑誌ポパイの表紙で一躍人気となったVWビートルのスキー姿。ルーフラックもつけて、荷物満載ではるばる練馬からやってきました。麓の料金所付近で何やら整備中です。素のビートルはカッコいいですね。

フォルクスワーゲン・タイプ1
フォルクスワーゲン・タイプ1    笹本健次

フォルクスワーゲン タイプ1 反対側

同じビートルの反対側。チェーンもしっかりと巻いていますね。当時はチェーンを巻くのは、全く苦ではありませんでした。それにしてもすごい荷物ですね。

フォルクスワーゲン・タイプ1
フォルクスワーゲン・タイプ1    笹本健次

いすゞ 117クーペ

何と、あの高価な117クーペも惜しげもなく雪道を登ってきました。イエローのボディがやけに目立ちますね。雨樋が特殊なので、この形のスキーキャリアしか付かなかったのでしょう。フォグランプも装着してやる気満々です。足立からご苦労様です。

いすゞ 117クーペ
いすゞ 117クーペ    笹本健次

ボルボ1800E

雪まみれの品川ナンバーのボルボ1800E。スキーキャリアの装着巾が狭くてちょっと辛いかも。このカロッツェリア・フルアのデザインは不滅です。雪道にはよく似合いますね。

ボルボ 1800E
ボルボ 1800E    笹本健次

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    笹本健次

    Kenji Sasamoto

    1949年生まれ。趣味の出版社ネコ・パブリッシングのファウンダー。2011年9月よりAUTOCAR JAPANの編集長を務める。出版業界での長期にわたる豊富な経験を持ち、得意とする分野も自動車のみならず鉄道、モーターサイクルなど多岐にわたる。フェラーリ、ポルシェのファナティックとしても有名。

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