【復活を夢見たエラン】ビーガンチューン・エバンテ140 TC オリジナルのツインカム 前編

公開 : 2021.03.13 07:05

ビーガンチューン・エバンテ140 TC。ボディキット付きのエランではありません。1人のエンジニアが生み出した、エラン・ベースのオープンスポーツをご紹介しましょう。

もくじ

オープンスポーツが消えかけた1980年代
BRMで技術を磨いたロビンソン
日本向けツインカム・ユニットを製造
フォード・ユニットがベースのVTA

オープンスポーツが消えかけた1980年代

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
もし時間を戻せるなら、筆者は1980年を選びたい。20年に及んだMGBの生産は終了したばかりで、MGミジェットとトライアンフ・スピットファイアの中古車も沢山あった時代だ。

しかし英国のスポーツカーメーカーは、ぶどうの木が枯れたワイナリーのように、次のモデルを作ることをやめてしまった。手頃な価格のオープンスポーツが存在しない、乾ききった時代の始まりでもあった。

ビーガンチューン・エバンテ140 TC(1987-1993年)
ビーガンチューン・エバンテ140 TC(1987-1993年)

リライアント・シミターSS1600やトライアンフTR7、TVRといった選択肢もなくはなかったが、1960年代にロータスが設定した高い水準には届いていなかった。エランの思想を受け継いだマツダMX-5、ロードスターは1989年まで待つ必要があった。

英国のクルマ好きなら、一度は考えたことのある内容だと思う。しかし、その時代に隠れたモデルが存在している。日本で英国のオープンスポーツ魂が喚起される前に、英国東部のリンカンシャー州にも同じような考えを抱いた人物がいたのだ。

初めて聞く人も多いであろう、ビーガンチューン・エバンテ。名前にはあまり意味がないようだが、聞こえはいい。アンチロック・ブレーキや燃料インジェクションといった新技術には見向きもせず、キャブレターと溢れる馬力を大切にしていた。

英国、リンカンシャー州のスポールディングという小さい町には、時代の先をゆくようなチューニングショップは見当たらない。広大な草原に囲まれて、住宅が立ち並ぶ。いま町が賑やかになるのは、毎年開かれるフラワー・パレード程度かもしれない。

BRMで技術を磨いたロビンソン

でも1960年代に戻れば、リンカンシャーにはもう少しの活気があった。ブリティッシュ・レーシング・モータース、BRMの拠点がボーンの町にあり、レーシング技術が日々磨かれる地域だったからだ。

そこからほど近いところにある町が、スポールディング。BRMでエンジニアをしていたジョージ・ウォルター・ロビンソンが1965年にガレージを開くのに、丁度いい場所だったのだろう。

ビーガンチューン・エバンテ140 TC(1987-1993年)
ビーガンチューン・エバンテ140 TC(1987-1993年)

ロビンソンは、レーシングドライバーのグラハム・ヒルがドライブするグランプリマシンの開発を通じて、技術力を高めた。彼が新たに立ち上げたビーガンチューン社は、ロータス・エランのレーシングマシン、R26に焦点を当てて事業を進めた。

ロビンソンが得意としていたのは、エンジニアのハリー・マンディが設計したツインカム・ユニット。1558ccの4気筒ユニットから大きな馬力を引き出すことが、彼の真骨頂だった。

ジェームス・ハントからジャッキー・イクスまで、多くのドライバーが一度はビーガンチューンの組んだエンジンでレースを戦っていたはず。アメリカへも渡り、SCCAのフォーミュラBやフォーミュラCシリーズで活躍している。

時は過ぎ、1973年になるとロータスはセブンの生産終了を決定。1957年から進化を続けていたが、上流志向を抱いたロータスの方針とは相容れないモデルになっていた。

セブンは、ロータスのディーラーを長年営んでいたケーターハム社の手で命をすくう。コーリン・チャップマンから、製造・販売の権利が買い取られた。

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