GT40の勇姿を重ねて デ・トマソ・パンテーラ アメリカンV8の清楚なプレL 後編

公開 : 2023.03.19 07:06

イタリアとアメリカの合作で誕生した、ミドシップ・グランドツアラーのパンテーラ。清楚な最初期型を英国編集部がご紹介します。

リラックスして高速道路を流せる

フォードは、普段使いしやすい特性をデ・トマソ・パンテーラで重視した。ライバルに想定したランボルギーニフェラーリとは、この点でも異なっていた。

それは、パッケージングに表れている。プッシュロッド式のV8エンジンは比較的コンパクトで、ボディ後方にはランボルギーニ・ミウラへ匹敵する容量の大きな荷室がある。

デ・トマソ・パンテーラ(プレL/1971〜1972年/欧州仕様)
デ・トマソ・パンテーラ(プレL/1971〜1972年/欧州仕様)

オーバーヘッドカムとは違い、ヘッドは小さい。カバーパネルの下へエンジンが問題なく隠れるほど。荷室のフロア下には、トランスミッションが伸びている。

この頃らしい肉厚なタイヤを履き、しなやかなサスペンションが組み合わさり、乗り心地は見た目の印象を覆すほど優しい。市街地ではやや硬めだが、長時間の運転に耐えられそうだ。

ギア比は高く、トップに入れると110km/hを2600rpmでまかなえる。リラックスして高速道路を流すこともいとわない。

車内環境も、1970年代のモデルとして考えれば優秀。エアコンが装備され、涼しい風がダッシュボードの高い位置から吹き出てくる。

インテリアを観察すると、コスト削減の努力を発見できる。誕生から日が浅いブランドの量産モデルとして考えれば納得できるが、この点も同時期のライバルとは異なる部分だ。

ダッシュボードのスイッチ類は、肩身が狭そうに縦に積み重なっている。パワーウィンドウのスイッチは、平行に並んでいない。ラジオはベッカー社製の既製品で、メーカーの想定から90度傾けて搭載されている。

見た目は初期のオリジナルが1番

確かに妥協は少なくない。それでもブランドを立ち上げたアレハンドロ・デ・トマソ氏は、低価格にエキゾチック・グランドツアラーを提供するという、フォードの願いを叶えた。

クラシックカーでは珍しくないことだが、パンテーラの見た目は初期のオリジナルが1番美しい。新たな法律へ対応させたり、時代のトレンドを追って手が加えられていない。作り手の意思が、最もストレートに表現されている。

デ・トマソ・パンテーラ(プレL/1971〜1972年/欧州仕様)
デ・トマソ・パンテーラ(プレL/1971〜1972年/欧州仕様)

今回のオレンジのクルマは、通称「プレL」と呼ばれる1971年から1972年に作られた最初期型。ボディ後方で大きくフェンダーラインが膨らんだ後期のパンテーラとは異なり、細身の金属製バンパーを備え、ボディラインの構成は清楚と表現してもいい。

スタイリングを手掛けたのは、イタリアのギア社に在籍していたトム・ジャーダ氏。ウェッジシェイプのフォルムは、1970年代の最先端にあった。

マルチェロ・ガンディー氏が描いたランボルギーニ・カウンタックや、ジョルジェット・ジウジアーロ氏によるBMW M1と並んでも、新鮮さでは負けていなかっただろう。Cピラー付近の造形は、ファストバックのフォード・マスタングと重なるようにも見える。

更に初期型の場合、リアタイヤは幅が細くボディの内側へ明らかに引っ込んでいる。トレッドの狭さが、軽量な車重と相まって、扱いやすい操縦特性を生んでいるようだ。動的能力の限界を探らなければ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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