【追悼】マルチェロ・ガンディーニの遺した名車を振り返る 50選 後編 伝説の自動車デザイナー、逝く

公開 : 2024.03.16 18:25

マセラティ、フィアット、BMW、ランボルギーニなど数多くのデザインを手がけた故マルチェロ・ガンディーニ氏。その多才ぶりを写真とともに振り返る。

ランボルギーニカウンタック(1974年)

(この記事は後編です。カウンタック以前の作品については前編で紹介しています)

ドラマチックな外観を持つ市販車といえば、1971年のジュネーブ・モーターショーでコンセプトカーが発表されたランボルギーニ・カウンタックに勝るものはない。

ランボルギーニ・カウンタック(1974年)
ランボルギーニ・カウンタック(1974年)

ミウラの4.0L V12を受け継ぎ、1974年に生産が開始されたときも、その輝きは変わらなかった。1990年に最終型が登場する頃には、排気量も5.2Lに拡大された。

マセラティ・カムシン(1974年)

マセラティの過去40年の歴史でおそらく最も車高の低いカムシンは、ボーラと同じ4.9L V8エンジンを搭載している。ただし、ボーラがミドシップなのに対し、カムシンではフロントに積んでいる。これは、MTとATを選べる2+2として、後方にスペースを確保するためであった。

1974年から1982年まで、合計435台が生産された。

マセラティ・カムシン(1974年)
マセラティ・カムシン(1974年)

ランボルギーニ・ブラボー(1974年)

1970年代初頭、ベルトーネとランボルギーニは緊密な関係にあった。ベルトーネはトリノ・モーターショーで、ウラッコのホイールベースを切り落とし、2シーターとしたブラボーを出展した。

コンセプトカーではあるが、ランボルギーニの最高出力300psの3.0L V8エンジンを搭載し、実走行が可能だった。どこを見ても素晴らしいディテールが施されていたが、悲しいことに、量産化は実現しなかった。

ランボルギーニ・ブラボー(1974年)
ランボルギーニ・ブラボー(1974年)

イノチェンティ90/120(1974年)

ランブレッタのスクーターで知られるイノチェンティは、1961年から1976年までミニをライセンス生産していたことでも有名だ。1972年には、ブリティッシュ・レイランドが同社を完全に傘下へ収めている。

イノチェンティは2気筒750ccエンジンを搭載した新型車の開発に取り組んでいたが、ブリティッシュ・レイランドが関与すると、代わりに998ccまたは1275ccのAシリーズ・エンジンを採用。その結果、モダンでスタイリッシュな90/120が誕生した。

イノチェンティ90/120(1974年)
イノチェンティ90/120(1974年)

マセラティ・クアトロポルテII(1974年)

初代クアトロポルテは、マセラティにとってかなりの成功を収めた。1974年に新型のクアトロポルテII(QPII)が発表されたが、当時シトロエンの傘下にあったことから、前輪駆動のSMをベースに、3.0L V6の搭載が計画されていた。

その後、シトロエンが財政的に行き詰まり、マセラティはデ・トマソに売却される。QPIIはわずか十数台しか生産されず、欧州以外の地域で販売された。

マセラティ・クアトロポルテII(1974年)
マセラティ・クアトロポルテII(1974年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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