ミドシップ化の叶わなかった4代目 シボレー・コルベット C4 ZR-1 アメリカン・スポーツの代名詞(2)

公開 : 2023.11.11 17:46

アメリカン・スポーツカーの代名詞、コルベット誕生から70年 コークボトルラインのC3からミドシップのC8まで 英国編集部が6世代を振り返る

ミドシップ化が叶わなかったコルベット C4(1983〜1996年)

3代目シボレー・コルベット、C3の頂点といえたスティングレイLT-1から、4代目C4のZR-1が登場するまで、約20年の準備期間が必要だった。アメリカン・スポーツカー苦悩の時間は長かった。

C3からC4への進化ぶりは目覚ましい。それでも、高水準なスポーツカーとして4代目を認識させたのは、トップグレードのZR-1だったといえるだろう。

シボレー・コルベット C4 ZR-1(1990〜1995年)
シボレー・コルベット C4 ZR-1(1990〜1995年)

コルベットは世代を重ねる毎に走りを磨いてきたが、C4は動力性能だけでなく操縦性にも強く焦点が向けられていた。欧州のスポーツカーと互角に渡り合えるモデルを生み出すべく、大幅な再設計が施されている。

シボレーの技術者だったゾーラ・アーカス・ダントフ氏は、C3を5年程でモデルチェンジし、ミドシップ・レイアウトへの方向転換を考えていた。フォードのディーラーに並んだ、デ・トマソ・パンテーラに対峙するモデルの開発を望んでいたという。

しかし、プロトタイプの製作まで進められたものの、量産には至らなかった。彼自身も、1975年に引退。C3は1982年まで生産が続けられた。

1977年に、フロントエンジンで次世代の開発がスタート。1982年の発売を目指したが完成は遅れ、生産拠点もケンタッキー州ボーリンググリーン工場へ移され、結果的に1984年へずれ込んだ。

正式には、モデルイヤーとして1983年式は存在しない。だが、生産はその11月に始まっている。燃料インジェクション化されたV8エンジンや、アルミ製デフハウジング、複合素材の板バネなどは、C3の最終仕様から受け継がれたものといえた。

操縦系から受ける印象は明らかに現代的

シャシーは一新。C3でもボディとの一体化が進められてはいたが、基本的にはスチール製フレームを持つセパレート構造といえた。だがC4では、ゼネラルモーターズ(GM)が「ユニフレーム」と呼ぶ、新しい構造が導入されている。

キャビン部分のボディシェルが主要な構造体となり、シャシーレールが組み付けられた。これによりボディ剛性が大幅に向上し、走りの洗練性も飛躍的に改善したが、サイドシルは太くなった。

シボレー・コルベット C4 ZR-1(1990〜1995年)
シボレー・コルベット C4 ZR-1(1990〜1995年)

今回ご紹介するZR-1でも同様。全高は歴代のコルベットで最も低く、乗降性は恐らく一番悪いだろう。数少ない弱点の1つといえるが、ボディのガッシリ感は間違いなく高い。

ブレーキやステアリング、クラッチ、シフトレバーなど、操縦系から受ける印象は明らかに現代的になっている。同時期の欧州製ライバルと比べると、全体的に重めなことは否めないものの、スポーティでまとまりがいい。

ステアリングラックはラック&ピニオン式で、先代より遊びが目に見えて小さい。ステアリングホイール自体も小径になり、シャシーと格闘するような必死さは薄まっている。

そんな洗練されたシャシーとは対象的に、当初のV8エンジンはC3の印象と重なった。最高出力208psのスモールブロック、L83ユニットが継投されていたのだ。

1985年にアップデートを受け、ポート噴射化されたL98ユニットでは233psまで上昇。とはいえ、パワフルとは呼びにくかった。更なる速さを求めるドライバーは、キャラウェイ社のターボチャージャー・キットを選ぶことになった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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