ステランティス・ジャパン 打越社長が語る 多国籍メーカーを擁す同グループの今と展望

公開 : 2023.12.09 07:05

多国籍企業ともいえる、ステランティス・グループ。同社ジャパンの代表である打越晋社長に、グループの今と、2024年の展望を聞きました。「思いつき」から派生したラウンドテーブルの模様をお届けします。

回復傾向を後押しするアプローチ

11月の終わり、三田にあるオフィスビルの最上階、ステランティス・ジャパンの本社にいくつかのメディアが招かれた。打越晋社長によるラウンドテーブルが開催されたのである。

フランスやアメリカ、そしてイタリアなど14の自動車ブランドが合併して誕生した多国籍自動車メーカーであるステランティス。打越社長は昨年11月25日にステランティス・ジャパンの代表取締役社長に就任している。

ステランティス・ジャパン 打越社長が語る
ステランティス・ジャパン 打越社長が語る

打越社長は日産の関連会社等の様々な自動車関連企業でマネジメント経験を積んでいる人物だが、いわゆる外資系企業のトップらしい近寄り難い雰囲気はない。それは社内の人間とのやり取りを見ていてもよくわかる。

今回の招集が突然だったのは、それが打越社長の「思いつき」だったからなのだとか。同社は11月の半ばに7ブランド合同のディーラー会議を開き、打越社長は2023年総括と2024年の展望を話している。であればメディアにも同じような内容の話しをすべきでは? と思いついたのだとか。

ステランティスのみならず自動車企業全体にとって2023年はコロナ禍やウクライナ情勢に代表される「激動の時代」の続きだった。彼らの直近の問題は半導体不足である。

「半導体不足はコロナ前(2018年)に比べるとかなり回復していると思います。国産は9割以上回復していますが、輸入車は8割ちょっとですね。我々としてはお客様の消費行動も続いていると見ているので、あとはこちらがどういった提案をできるか、ということが今後のカギになってくると思っています」と打越社長。

同社の回復の切り札となるのは電動化だろう。10月にデビューしたアバルト500eはその象徴的な1台だった。

電動化モデルの普及こそ未来の原動力

アバルト500eが登場したことで、ステランティス・ジャパンが扱う7ブランド全て、20車種の電動化モデルがラインナップされたことになる。

打越社長はICE(内燃機)車はこれまでより若干増えるくらい。でも電動化モデルの販売比率が増えることによってコロナ前の水準に戻っていくだろうと見ている。

ステランティス・ジャパン 打越社長が語る
ステランティス・ジャパン 打越社長が語る

「我々は海外で生産されたクルマをしっかり整備してお客様に届けることが仕事です。でもそれだけではなく我々のクルマを楽しんでいただくことにも注力する必要があります。電動化モデルではついつい走行距離ばかり気になってしまい、我々もそれを最初に説明してネガティブなイメージをなくそうとしています。でもそれだけではなく、もっと電気自動車に親しんでもらう必要があると考えました」

電動化モデルを促進するために打越社長が思いついた企画が「エブリバディEVキャンペーン」だった。これは電動化モデルの購入者のためにカスタマイズした旅行をプレゼントするもの。またステランティス・ジャパンはキャンプ・ジープフィアット・ピクニック、シトロエニスト・ランデブーなどブランドごとのオーナーズ・イベントにも積極的で、打越社長も積極的に参加している。

「今年はプジョーのイベントができなかったので来年はぜひやりたい。お客様と実際に触れ合うといろいろな発見があります。フィアットの時もジープのイベントで会ったお客様が来ていて、聞いてみたら奥様はフィアットに乗っているという。ご夫婦で我々の車を愛してくださって、本当にうれしく思います」

日本で7ブランドを展開するステランティスにとって、ブランドの垣根を超えたシナジー効果も期待されるところだが、それについても打越社長は答えを持っていた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    吉田拓生

    Takuo Yoshida

    1972年生まれ。編集部員を経てモータリングライターとして独立。新旧あらゆるクルマの評価が得意。MGBとMGミジェット(レーシング)が趣味車。BMW 318iコンパクト(E46)/メルセデスBクラスがアシグルマ。森に棲み、畑を耕し蜜蜂の世話をし、薪を割るカントリーライフの実践者でもあるため、農道のポルシェ(スバル・サンバー・トラック)を溺愛。
  • 撮影

    小川和美

    Kazuyoshi Ogawa

    1986年生まれ。クルマ好きの父親のDNAをしっかり受け継ぎ、トミカ/ミニ四駆/プラモデルと男の子の好きなモノにどっぷり浸かった幼少期を過ごす。成人後、往年の自動車写真家の作品に感銘を受け、フォトグラファーのキャリアをスタート。個人のSNSで発信していたアートワークがAUTOCAR編集部との出会いとなり、その2日後には自動車メディア初仕事となった。
  • 編集

    AUTOCAR JAPAN

    Autocar Japan

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の日本版。

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