フェラーリによる、フェラーリのための「聖地巡礼」 488スパイダーと166インテルとともに:前編

公開 : 2017.03.05 00:30

「聖地巡礼」に欠くことのできない主役とは?

主役とは、サー・スターリング・モスのことである。

この世界でもっとも偉大なドライバーのひとりについて、クルマ好きなら一夜を語り明かせるだろう。

エンツォもまた彼のドライブを望んだが、モスは総帥に言い寄るようなことはしなかった。そして、ほかのドライバーは誰もしないであろうことをした。

「フェラーリのマシンには乗るが、フェラーリのチームには属さない」と宣言したのだ。

モスが求めたのは、ワークス仕様と変わらぬスペックのマシンを、彼が所属するロブ・ウォーカー・レーシングへ、チーム・カラーのダークブルーに塗って提供するよう求めたのだ。

もしそれが実現すれば、スターリング・モスは当時のフェラーリF1を駆る最高のドライバーとなったはずだった。しかし、そのマシンが届く前に、グッドウッドで起きた大事故がもとで、モスはF1ドライバーとしてのキャリアに終止符を打ってしまったのである。

F1では実現しなかったモスとフェラーリのコンビだが、スポーツカー・レースの世界では数多くの成功を収めている。

1960年、グッドウッドで開催されたツーリスト・トロフィーでは、真新しいブルーのフェラーリ250 SWBを駆って優勝。これは世界スポーツカー選手権の第4戦でもあり、ニュルブルクリンクやモンツァでの1000kmレースと並ぶ重要なイベントだった。

モスの速さは圧倒的で、走りながら客席の女性を品定めして手を振れたのではないかというほど余裕のレース運びを見せる。

この250 SWBには驚くべきことにカーラジオが備わっていたが、さらに驚くのはモスがこれを聴きながらドライブし、自らの優勝をレース実況で確かめていたということである。彼は翌年もここで勝利した。

そして1962年、パドックにはより操作性を高めた250 GTOが用意された。しかし、モスは3月にロータス18/21で遭った事故により8月のツーリスト・トロフィーには参戦できず、GTOのシートに収まることはなかった。


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