鏡文字の「TURBO」ロゴ BMW 2002 ターボ オイルショックに襲われたレジェンド 後編

公開 : 2023.08.19 07:06

1970年代に大きな波風を起こした、2002 ターボ。オイルショックで短命に終わったレジェンドを、英国編集部が振り返ります。

当時としてはライバルを寄せ付けない速さ

ターボチャージャーを与えた2002のために、BMWはオーバーフェンダーでトレッドを広げ、バンパーの下へフロントスカートを追加。アグレッシブなスタイリングを、レッドとブルーのストライプが引き締めた。

果たして、2002 ターボが獲得した最高速度は210km/h。0-97km/h加速を7.0秒以下でこなし、当時としてはライバルを寄せ付けない速さを誇った。

BMW 2002 ターボ(1973〜1974年/欧州仕様)
BMW 2002 ターボ(1973〜1974年/欧州仕様)

ところが、有望だった小さなクーペをオイルショックが襲う。ガソリン価格は高騰し、燃費の悪いクルマの需要は急速に縮小。社会的な実情とかけ離れたモデルを開発したとして、BMWは一部のメディアからバッシングを受けてしまう。

結果的に、2002 ターボの生産は10か月で打ち切られた。その期間にラインオフしたのは、僅か1672台。カタログ上の燃費は、2.0Lエンジンながら6.9km/Lだった。

今回ご登場願ったポラリス・シルバーが眩しいクーペも、その貴重な1台。1974年式で、3色のレーシング・ストライプと、マイレ社のアルミホイールが凛々しい。ボディカラーは、ほかにシャモニー・ホワイトが選択肢として用意されていた。

グラスファイバー製フロントスカートに貼られた、鏡文字の「TURBO」ステッカーは、オイルショックに伴う世論へ配慮し生産後期には省かれている。この例は、それ以前に作られた車両だとわかる。

少し離れた場所から眺めても、2002 ターボの佇まいは意欲的。1970年代らしいスタイリングを、ブラックのラバー製リアスポイラーが強調する。

市街地でも扱いやすい滑らかな反応

内装は、ブラックのビニールで包まれている。見た目とは裏腹に、モータースポーツを想起させるような変化は得ていない。ダッシュボードの上へ、時計と一緒にVDO社製のターボブースト計が追加されている程度だ。

ブラックのスポーツシートは、座り心地が良い。サイドボルスターが高く、通気性はいまひとつだが。

BMW 2002 ターボ(1973〜1974年/欧州仕様)
BMW 2002 ターボ(1973〜1974年/欧州仕様)

ターボエンジンをクランキングさせると、特徴の薄いノイズで目覚める。アイドリングは1100rpmで落ち着き、特にうるさいわけではない。

まず印象的だったのが、日常的な条件での従順さ。滑らかに反応し、市街地でも扱いやすい。高速道路の速度域で、比較的静かなことにも感心させられた。110km/hで巡航していても、助手席の人と普通に会話できる。

停止状態からの急加速は、この時代のモデルには似合わない。もっとも、試乗したエリアは交通量が多く、完璧なオリジナル状態の2002 ターボを思い切り飛ばすことは難しい。

少なくとも過去の経験から、ターボチャージャーがブースト圧を高めれば、最高の喜びを享受できることは知っている。トランスミッションは、ゲトラグ社製の4速マニュアル。当時は5速もオプションで用意されていた。

道路利用者の少なくなったタイミングを見計らって、2速でエンジンを引っ張る。3速へシフトアップする直前に、100km/hへ届いてしまった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    リチャード・ヘーゼルタイン

    Richard Heseltine

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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