クルマ漬けの毎日から

2021.08.12

ランボルギーニ・カウンタックLP500(プロトタイプ)は、1971年のジュネーブショーで発表されました。ちょうど今から50年前です。カウンタックとの思い出を、クロプリー編集長が語ります。

【クロプリー編集長コラム】ランボルギーニ・カウンタック、初披露から50周年

もくじ

LP400 私のお気に入り
クルマの移送 ジャーナリストが代行

translation:Kaoru Kojima(小島 薫)

LP400 私のお気に入り

最近、ランボルギーニ・カウンタック50周年に関係する記事をよく目にしており、読んで楽しんでいる。

クルマの「誕生〇〇周年」という話題には、いつもは特別な興味を持っていない。だが、カウンタックの場合、こうした記事を読んでいると、このクルマの全盛期に連れ戻される。

1971年ジュネーブショーで初披露されたプロトタイプ「LP500」

というのも、1980年代から1990年にかけて、7~8台のカウンタックをテストドライブしたからだ。オリジナルのLP400は、これからもずっと私のお気に入りであり続けるだろう。

LP400はデザインにおいて偉業を成し遂げた。とはいえ、路上ではいくつかの問題を抱えていたが。

クルマの移送 ジャーナリストが代行

当時、イギリスのランボルギーニの輸入元は、イタリアからイギリスへのクルマの移送を専門業者に依頼するのではなく、自動車ジャーナリストをイタリアに派遣して行なっていた。私もその役目を3度引き受けた。

しかし、この仕事にはいつもリスクが伴っていた。自走して運ぶその新車のランボルギーニには、まだ納車前点検が行なわれておらず、ちょくちょく故障したからだ(私が運んだ3台のうち2台は、エアコンが故障した)。

だが、最大の心配事は、国境を通過できるかどうかという点だった。

カウンタックLP500S

サンタアガタ工場を出発する時に、ランボルギーニから渡された書類は、税関を通過するのに十分な内容ではなかったようだ。

私の最悪の体験は、LP500Sがドーバーで没収されてしまったこと。

クルマのことが心配だった私は、没収保管エリアに置かれたLP500Sの車内で一晩を過ごした。翌日、無駄な電話をしたり、怒鳴り合いをした後、電車でこの旅を終えた。

 
 

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