【試作車を販売】ジェンセンC-V8コンバーチブル 雨漏りに剛性不足 奇抜な姿 後編

公開 : 2021.02.28 17:45

大胆にルーフが切り落とされた、ジェンセンC-V8コンバーチブル。1台のプロトタイプが作られただけの貴重なモデルを、英国編集部がご紹介します。

試乗テスト前に納車していたコンバーチブル

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
ジェンセンC-V8コンバーチブルには、雨漏り意外の不具合も多かった。きしみ音や振動音が各部から生じ、ラジオは入りが悪く、リア・サスペンションは硬すぎた。助手席側の窓はすぐに故障し、開かなくなった。塗装も場所によってムラが目立った。

コンバーチブルはC-V8のMk-IIとMk-IIIが組み合わされた構造で、改良前の1系統のみのブレーキシステムも不満の1つ。トランクリッドには、最新のMk-IIIに与えられていたジェンセンのエンブレムすら貼られていなかった。

ジェンセンC-V8コンバーチブル(1965年)
ジェンセンC-V8コンバーチブル(1965年)

オーナーのキャリントンは後に、「全体的には非常に優れていた」と述べていたようではある。それでもフォレットは、ロイヤルカスタマーの不満に心を痛めたに違いない。

1965年の初め、C-V8コンバーチブルを量産するかどうかは決定していなかった。しかしキャリントンへ届けられた後、1965年7月にビーティーが行った初めての試乗テストの結果は、将来を閉ざすのに充分だった。

キャリントンはすでに不具合を羅列していたが、ビーティーも多くを発見する。シャシーは振動し、ねじれ剛性の弱さを示していた。排気音も大きすぎた。コーナーではだらしなくロールし、アンダーステアもひどかったようだ。

最終的にソフトトップが交換され、後期型のブレーキを獲得したC-V8コンバーチブルは、キャリントンが1年半所有。約3万3800kmを走らせた。スコットランドまで遠乗りしてもいる。

1967年、ジェンセン・インターセプターが発売されるまで、C-V8コンバーチブルを大切にしていたという。フォレットはC-V8を下取りし、インターセプターをキャリントンへ納車した。2人目のオーナーは、すでに決まっていた。

以前から狙っていた2番目のオーナー

1964年、英国フィナンシャルタイムズ紙でC-V8コンバーチブルの記事を目にしていた、フィリップ・サウソール。オープントップ・モデルの熱狂的なファンで、C-V8にも強い関心を示していた。

彼は独自に調査し、フォレットのディーラーで売られ、キャリントンがオーナーだと把握していた。年に1度程度の割合でクルマを買い換える情報を聞き、そのタイミングを狙っていた。

ジェンセンC-V8コンバーチブル(1965年)
ジェンセンC-V8コンバーチブル(1965年)

1967年2月、アストン マーティンDB2/4ドロップヘッドクーペを売却。サウソールは念願のジェンセンC-V8コンバーチブルを手に入れる。

LPP766Cのナンバーを取得し、160km/h以上で余裕に走れる巡航性能を楽しんだ。5.7km/Lの燃費ながら、1973年まで毎日のように乗ったという。サウソール家で歓迎されたジェンセンは、娘の運転教習にも駆り出されたらしい。

同時にサウソールは、膨大なC-V8の関係資料を集めた。デザイナーのニールや、前オーナーのキャリントン卿が「素晴らしいクルマでした」。と記した手紙も。

1987年、サウソールは義理の息子にC-V8コンバーチブルを譲る。そのまま保管されていたが、クラシック・オートモビルズを主幹するロバート・ベントレーが、クルマを手放すよう説得したという。

「長期間しまわれていたので、多くの人は存在を忘れていました」。と話すロバート。

「再塗装が必要な状態で、丁寧にレストアを施しました。カーペットなども敷き直しています。機械的な部分は、ほとんど手を付けなくても大丈夫でした」

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