【エンターテインメント・ワゴン】マーキューリー・エイト 戦地を歴訪したサンドカラー 前編

公開 : 2021.05.30 07:05

フォードとリンカーンの中間ブランド

売り文句は、「フォード・リンカーンの水準を展開し、優れた機械品質に先進的なデザイン、突出した価値を新しい価格帯で提供します」。というもの。最終的に、このマーキュリーへは砂漠用の迷彩塗装が施されるのだが。

大西洋の反対側で、戦争や大恐慌の恐怖にさらされずにいた北米の人たちをターゲットにしていたマーキュリー。シルクのスカーフを優雅になびかせるような、女性も視野に入っていた。

マーキュリー・エイト・ミリタリー・ステーションワゴン(1939年)
マーキュリー・エイト・ミリタリー・ステーションワゴン(1939年)

フォードより強力なエンジンを載せ、価格は高かったがリンカーンよりは手頃。トルクも充分にある96psのV8エンジンに、油圧ブレーキを採用していた。

2ドアと4ドアのボディが初年度から提供され、翌1940年のクラブ・コンバーチブルは大きな人気を集めた。だが、キャンベルがオーダーしたようなステーションワゴンはなかった。

英国の技術者、レスリー・バラミーの監修によるフロント・サスペンションも独創的だ。彼は、フォード・ポピュラーやオースティン・セブンが採用する、スプリット・アスクル構造と呼ばれるサスペンションを考案した人物。独立懸架式の、初期の構造といえる。

キャンベルも、自身のレースマシンへそのサスペンションを採用していた。しかし現在のマーキュリー・エイトには、無骨なソリッドビームがフロントに付いている。バラミーが手掛けたという輝きは、戦争で失われている。

フォームビーと53日間の長旅

キャンベルは1940年9月に、バラミーへ手紙を書いている。特別仕立てのサスペンションを評価するとともに、時間をかけてテストしたことで、お礼が遅れたことを侘びていた。すべての結果に満足していると、まとめられていたという。

ステーションワゴンのマーキュリー・エイトは、ロイヤル・アルバート・ホールで開かれた1943年のチャリティ・イベントの後にオークションへ出品。フォームビーの手へと渡る。その場所でキャンベルと顔を合わせたようだ。

マーキュリー・エイト・ミリタリー・ステーションワゴン(1939年)
マーキュリー・エイト・ミリタリー・ステーションワゴン(1939年)

スピード自慢のキャンベルだったが、フォームビーもV型12気筒のラゴンダでサーキットを走り、160km/hを記録した経験を持っていた。2人の話は弾んだことだろう。

キャンベルが作らせたマーキュリーは、フォームビーの次のツアーに理想的なクルマになった。ミュージカル映画、ベルボトム・ジョージの撮影を終えると、53日間の長旅が始まった。熾烈な戦いと荒野に疲れた軍隊のために。

デビッド・ブレットがまとめたフォームビーの伝記によると、彼は英国軍に娯楽を提供する目的で設立された国民娯楽協会(ENSA)へ、バイクに乗れないか事前に確認をとっていたという。軍の隊列へ送れずに移動したいと考えていたようだ。

ENSAは、フォームビーの打診を否定した。そのかわりマーキュリーの利用を認め、同行するスタッフやピアニストのために、テントが用意された。クルマに残されたブラケット類は、その証拠といえる。

この続きは後編にて。

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