BMWガルミッシュ(1) 巨匠ガンディーニによる先取り3シリーズ 同意を得ず「密かに」製作!

公開 : 2024.05.05 17:45  更新 : 2024.05.16 00:30

依頼先はミケロッティからガンディーニへ ベルトーネが独断で進めたガルミッシュ BMWの元デザイナー、サクスティ氏が角ばったキドニーグリルの歴史を振り返る

依頼先はミケロッティからガンディーニへ

かつてBMWのデザイン部門を率いた、ヴィルヘルム・ホフマイスター氏。リアウインドウの後端を斜めに持ち上げた処理、「ホフマイスター・キンク」を通じて、技術者だった彼の名を知るファンは少なくないだろう。

だが、イタリアのデザインスタジオ、ベルトーネ社との強い結びつきは意外と知られていない。実のところ彼は、自らペンを手にしスタイリングを描き出した、デザイナーではなかった。監督者と表現した方が正しかった。

BMWガルミッシュ・リクリエーション(2019年)
BMWガルミッシュ・リクリエーション(2019年)

彼は1950年代初頭から、ボディの技術部門と、その中に属するデザイン部門を統括する立場にあった。当時、このデザイン部門の規模は小さく、正式なスタッフは3・4名ほど。外部のデザイン・スタジオへ、プロジェクトが委託されることは多かった。

BMWが1960年代に頼っていたのが、イタリア人デザイナーで、自身の名を冠したカロッツエリアを立ち上げたジョヴァンニ・ミケロッティ氏。しかし、徐々にブランドの規模は拡大。異なるデザイナーの力も借りる必要性が生まれた。

そこでホフマイスターが注目したのが、ベルトーネ社。ヌッチオ・ベルトーネ氏の父、ジョバンニ・ベルトーネ氏が立ち上げたカロッツエリアで、創業は1912年とBMWより古かった。

最初に求めたのが、7シリーズの前身となる、1968年に発表されるBMW 2500に対する提案。チーフデザイナーにあったマルチェロ・ガンディーニ氏は、特徴的なスタイリングを描き出した。

縦に長い六角形のキドニーグリル

BMWの社内デザイナーやミケロッティ社からも、候補として次期モデルのスタイリングは提案された。だが、最もホフマイスターの心を動かしたのは、巨匠、ガンディーニの案だった。

1968年6月には、ミケロッティ社からベルトーネ社へ、デザイン・コンサルティングの依頼先が変更。後に5シリーズと呼ばれる、E12型サルーンの社内デザインを評価してもらうため、ヌッチオはBMWへ招聘された。

BMWガルミッシュ・リクリエーション(2019年)
BMWガルミッシュ・リクリエーション(2019年)

ドイツへやって来た彼は、原寸大で作られたデザイン・モックアップの周囲を歩き、ゆっくり観察。眉をひそめながら、保守的なスタイリングに対する意見を口にした。これが、どのくらい長く価値を保てるのだろうと。

代替案を提供できる可能性を、彼は示唆した。そして1969年8月に描き出されたのが、縦に長い六角形のキドニーグリルを持つ、シャープなラインのボディだった。

E12型への提案により、ホフマイスターとヌッチオとの関係性は一層強化。3シリーズの前身となるコンパクトモデル、BMW 2002の創案も頼まれた。これにも、縦長のキドニーグリルがフロントの中央に据えられていた。

BMWは、ガンディーニがアイデアを平面へ展開しやすいよう、簡単な仕様書を提供していた。その中で、6角形のフロントグリルは継続して提案が続いたようだ。

1969年後半には、1973年に2002を置き換える予定の、次期モデルのデザインもガンディーニへ頼まれた。コードネームはE21で、最終的には1975年に3シリーズとして発売されている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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