一度は復活を遂げた迷(名)車たち 前編 スチュードベーカー・アバンティ ゴードンGK1 ボルグワードP100

公開 : 2022.11.26 07:05

各メーカーが全力で創出したクルマのなかには、生産終了後に復活を遂げる例も。英国編集部が特徴的な10台をご紹介します。

数奇な運命で復活を遂げた迷(名)車たち

多くの自動車メーカーは、生き残りをかけて最後まで戦うことを諦めない。それゆえに、起死回生を賭けて生み出されたモデルは、改めて見ると興味深い例も少なくない。当時は相手にされなかったとしても。

現実が追いつかないものの、注目すべき技術が与えられたことも珍しくなかった。新しいエンジンが開発され、未来的なスタイリングのボディが成形され、厳しい現実に立ち向かった。

ポルシェ912E(1975年/北米仕様)
ポルシェ912E(1975年/北米仕様)

一方、経営難のなかで手短にお金を稼ごうという、土壇場の策で生まれたモデルも存在はした。歴史あるメーカーとしてのプライドや自尊心、市場を見極められなかった楽観的な思考などが、正しい事業展開を妨げたのかもしれない。

それらを振り返ってみると、1度の終焉を経て、第2の人生を切り開いた魅力的な例も発見できる。まったく別のメーカーで、アイデンティティが密かに受け継がれたこともあった。

今回は、数奇な運命のもとで復活を遂げた、10台のクラシックカーをご紹介したいと思う。読者がご存知のモデルは、何台含まれているだろうか。

スチュードベーカー・アバンティ(1963年)

今でもプロダクトデザインの名作として紹介される、アバンティ。ゼネラル・モーターズとフォードクライスラーというアメリカン・ビッグ3が例年のように繰り返すマイナーチェンジへ対抗するべく、スチュードベーカーが起死回生を図ったラスト・モデルだ。

スタイリングを手掛けたのはプロダクトデザインの巨匠、レイモンド・ローウィ氏。洗練され近未来的なボディはFRPで成形され、上級モデルにはスーパーチャージャー付きのエンジンを採用。当時のアメリカ車では、最も鋭い加速力を備えた1台だった。

スチュードベーカー・アバンティ(1963〜1964年/北米仕様)
スチュードベーカー・アバンティ(1963〜1964年/北米仕様)

前後にディスクブレーキを採用するなど、技術的にも先進的な内容といえた。真のアメリカン・グランドツアラーだった。

スチュードベーカーが当初の需要を満たせる量産体制を構え、製造品質も安定していれば、狙い通り窮地を救えていたかもしれない。しかし実際は、1963年から1964年に4643台が作られたに過ぎなかった。

2006年まで生産されていたアバンティ

その後、アバンティに魅了されたディーラーが協力しアバンティ・モーター社を創業。1965年にアバンティIIとして再販売へこぎつけた。インディアナ州に小さな工場が設けられ、シボレーコルベット用エンジンを載せ、手作業で少数が生み出されている。

1982年、不動産業を営んでいたスティーブン・ブレイク氏がアバンティ・モーター社を買収。1986年まで生産は続けられた。

アバンティ・モーター・アバンティII(1965〜1986年/北米仕様)
アバンティ・モーター・アバンティII(1965〜1986年/北米仕様)

当初はスチュードベーカーが生み残したXフレーム・シャシーを利用していたが、在庫が尽きるとシボレー・モンテカルロのフレームが代用されている。ブレイクはシャシーを改良し、コンバーチブルもリリースしている。

それ以降も2度、経営者が変わりながらアバンティは作られ続けた。スチュードベーカーとレイモンド・ローウィ氏による、オリジナルが持つ純粋さを失いながら。

マニアな小ネタ:21世紀に入っても、アバンティはフォード・マスタングをベースにメキシコで生産が続けられていた。驚くことに、2006年まで。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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