一度は復活を遂げた迷(名)車たち 前編 スチュードベーカー・アバンティ ゴードンGK1 ボルグワードP100

公開 : 2022.11.26 07:05

ゴードン-キーブル GK1(1964年)

イタリアのコーチビルダー、ベルトーネ社がスタイリングを手掛けたアルミニウム製ボディをまとうゴードンGTが1960年に発表された。その後、1964年にブランド名にゴードンというブランド名を掲げ、GK1の量産がスタートしている。

スペースフレーム・シャシーにドディオン式リア・サスペンションを備え、コルベット用エンジンが組み合わされた、優れた英国製スポーツカーだった。しかし、ゴードン-キーブル社が抱える問題は多岐にわたり、美しいクーペの価格は驚くほど高額だった。

ゴードン-キーブル GK1(1964〜1967年/英国仕様)
ゴードン-キーブル GK1(1964〜1967年/英国仕様)

量産版ではボディがFRP製へ変更されていたが、ウィリアムズ&プリチャード社が製造を請け負うことで、製造品質は高かった。それでも市場の支持は得られず、経営者を変えつつ、1967年までの100台で生産を終えている。

その後、アラルダイト接着剤を開発した人物の息子、ジョン・デ・ブライネ氏がゴードン-キーブルの残骸を入手。ボディに手を加え、デ・ブライネGTとして1968年のニューヨーク・モーターショーで発表している。だが、展示された1台しか作られていない。

マニアな小ネタ:最後のデ・ブライネGTで興味深いのは、スタイリングに手を加えたのが画家のピーター・ナイジェル・フラック氏だったという点。後に英国の人気テレビ番組、「スピッティング・イメージ」の製作にも関わった人物だ。

ボルグワードP100(1959年)

スポーツサルーンやトラックを開発し、ヘリコプターの生産も夢見ていた、ドイツ人技術者のカール・ボルグワード博士。1959年に、P100と呼ばれる6気筒エンジンを搭載した上級サルーンを発表した。

メルセデス・ベンツをライバル視し、エア・サスペンションの技術では先んじていた。しかし、ボルグワード社へ投資していた銀行は、窮地に陥ったBMWを積極的に支援。成功が見えつつあったものの、倒産する1961年までに2500台のみが生産されている。

ボルグワードP100(1959〜1961年/欧州仕様)
ボルグワードP100(1959〜1961年/欧州仕様)

博士自身も、心臓麻痺で1963年にこの世を去ってしまう。だが、P100は1967年にメキシコで復活。ボルグワード230GLとして再生産されている。

メキシコに拠点を置くファナサ社が、ドイツからオリジナルの製造設備や部品を輸入。経営者を何度か交代しつつ、1970年までにさらに2500台が作られた。

マニアな小ネタ:メキシコ版のボルグワード230GLは、見た目は当初のP100と同様だが、手間のかかるエア・サスペンションは一般的なものへ変更されていた。また、生産後期にはテールフィンが省かれてもいる。

この続きは中編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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