わたしの愛した12台 元マクラーレンCEOの人生を変えたクルマとは 生粋のエンスージアストが選ぶもの

公開 : 2023.01.02 19:05

ロータスエランS1レーサー(1963年)

エランを愛するフルウィット夫妻は、さらに1年古いエランを美しくレストアして、レースに参戦するようになった。「26Rが登場する前に、ロータスのディーラー向けに開発されたレーシングカーです。26Rよりも登場が早く、わたしにとっては特別な存在です」

「重要なのは、このS1レーサーでわたしとミアがレースに出られるようになったことです。最初のレースは2015年のシルバーストン・ナショナル・サーキットでした。わたしがずっとやりたかったことであり、素晴らしいものでした」

ロータス・エラン(記事内のS1レーサーとは異なる)
ロータス・エラン(記事内のS1レーサーとは異なる)

「公道仕様に変更を加えて作られたので、最速のエランというわけではありません。少し重いし、エンジンは他のマシンのようにチューニングされていません。でも、レースでは勝っているんですよ。なぜもっと速くしないのかと聞かれたら、ジム・クラークがこのマシンに乗っていたら勝てただろう、と答えるだけです」

マクラーレン675LT(2015年)

マイク・フルウィットは、23の工場と2つの合弁会社(ロシアとトルコ)を担当する製造副社長の職を離れ、2012年に欧州フォードを退職してマクラーレンに移籍した。

優れた製品を持ちながらも難題を抱えるマクラーレンは、彼の製造に関する専門知識を必要としていた。初代12Cの販売が伸び悩んでいた頃にCOO(最高執行責任者)として着任し、翌年にはCEOに任命された。そして、12Cスパイダー、P1、650S、650Sスパイダーと、新モデルを怒濤のように投入していく。

マクラーレン675LT
マクラーレン675LT

「いいクルマを作ったという評価もありましたが、魅力やエモーショナルさが足りないと批判されました。わたしがどうしてもやりたかったのは、ロングテールの675LTで、計画にはなかったのですが、最終的には作りました」

「このクルマ(675LT)はわたしのアイデアで、わたしが最初から最後まで担当した初めてプロジェクトでしたから、特に誇りに思っています。重量を減らし、パワーとエアロを少し増やして、出来上がったものは予想以上に素晴らしく、マクラーレンのあるべき姿を示す、魅力的なクルマになりました」

フルウィットはクルマを自費で購入し、現在も所有している。

マクラーレンP1(2013年)

フルウィットは、P1が「マクラーレンにとって、わたしよりも重要な存在」であることを認めている。彼が着任したときには、P1の開発は順調に進んでいた。

「P1は個性あふれるクルマに仕上がりました。いわゆるハイパーカーの三位一体(P1、ラフェラーリポルシェ918スパイダー)の第一号となったのです。3年間でフェラーリやポルシェと同じレベルで見られるようになったのですから、当社にとって非常に大きな意味がありました。とても大きなことです。P1が完売し、ビジネス的に成功したことも、さらに良い結果をもたらしました」

マクラーレンP1
マクラーレンP1

記事に関わった人々

  • 執筆

    スティーブ・クロプリー

    Steve Cropley

    役職:編集長
    50年にわたりクルマのテストと執筆に携わり、その半分以上の期間を、1895年創刊の世界最古の自動車専門誌AUTOCARの編集長として過ごしてきた。豪州でジャーナリストとしてのキャリアをスタートさせ、英国に移住してからもさまざまな媒体で活動。自身で創刊した自動車雑誌が出版社の目にとまり、AUTOCARと合流することに。コベントリー大学の客員教授や英国自動車博物館の理事も務める。クルマと自動車業界を愛してやまない。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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