【英国の影の工場】デイムラー/ジャガー ルーツ スタンダード/トライアンフ 前編

公開 : 2021.09.19 07:05  更新 : 2021.10.15 13:23

第二次大戦を戦ったスピットファイア戦闘機にモスキート爆撃機。自動車メーカーが製造を担っていたことはご存知でしょうか。英国編集部が、その一部をご紹介します。

自動車工場が担っていた影の役割

執筆:Graham Robson(グラハム・ロブソン)
画像提供:Graham Robson(グラハム・ロブソン)
翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
第二次大戦直前の1936年、英国政府はシャドー工場プログラムなるものを立ち上げた。防衛産業に関わる工場の努力を称え、事業へ反映させるものだ。

プログラムは成功し、マリーン社製エンジンやスピットファイア戦闘機なども、開発元の工場以上に、協力工場の手で組み立てられることになる。ランカスター爆撃機やハリケーン戦闘機も、シャドー工場とは別ではあったが、同様に効果的に生産された。

ソリハル:ローバーのシャドー・ファクトリーの様子
ソリハル:ローバーのシャドー・ファクトリーの様子

英国中部のA452号線を走ると、ジャガーの大きな工場が目に入る。ここは、古くから自動車を生産していたわけではない。1940年代には、同じ建物内で数千機ものスピットファイア戦闘機が組み立てられていた。

2021年製のベントレーが生み出される工場も、1940年代にはマリーン社製のV型12気筒エンジンが組み立てられていた場所。コベントリーのスタンダード社工場からはモスキート爆撃機がラインオフし、デイムラーも装甲車を作っていた時代がある。

80年ほど前、英国は急速に武装化を進めた。航空機やエンジン、戦車、トラックなどの標準が規定され、政府の資金で工場の整備が進められた。戦後、それら工場の多くは役目を終え、民生向けの住宅建材や自動車などの製造へ転用されている。

英国の工場には、今でもカモフラージュ塗装が残されている場所も多い。1930年代後半に作られた工場の多くは、どれも形が似ている。ドイツ人が飛行機に乗って、自動車工場の偵察撮影を頻繁に行った理由でもある。

歴史的に重要な意味を持つ古い工場だが、近年は新しい建物へ建て替えが進んでいる。今回は、自動車工場が担っていた、影の役割の一部をご紹介させていただきたい。

1. ブラウンズレーン:デイムラー/ジャガー

デイムラーは、第二次大戦期にいくつかのシャドー工場を有していた。その1つ、コベントリー・ブラウンズレーンのシャドー工場では装甲車の製造が行われていた。1945年の任務終了後はデイムラーが引き払い、ジャガーが利用を始めた。

そこで製造されたのが、スポーツカーのXK120やEタイプだ。ほかにも、Mk VIIやMk 2、XJ6、レーシングマシンなど、多くの名車が生み出された。1960年代にジャガーはデイムラーを買収。デイムラー・ブランドのリムジンも製造されている。

ブラウンズレーン:デイムラー/ジャガーのシャドー・ファクトリーの様子
ブラウンズレーン:デイムラー/ジャガーのシャドー・ファクトリーの様子

その後、このシャドー工場は利用者が転々と変わる。1966年にはBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)が移って来るが、1980年代に休止。約10年後にフォードが転用するものの、現在は跡形もいない。

ジャガーの生産拠点は現在、バーミンガム近郊のキャッスル・ブロムウィッチにある。

マニアな小ネタ:1951年以降、ジャガーはル・マン仕様のCタイプやDタイプといったレーシングカーと、量産モデルをブラウンズレーン工場で生産している。

記事に関わった人々

  • 執筆

    グラハム・ロブソン

    Graham Robson

    英国編集部
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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