【愛し続けて50年】ウーズレー4/44 すべての思い出が詰まったサルーン 前編

公開 : 2020.02.09 07:20  更新 : 2020.12.08 10:55

父のウーズレー1300で50kmを牽引して移動

「学生時代、英国を南北につなぐ高速道路、M1から降りてすぐに故障したことは忘れられません。一緒に走っていた父はウーズレー1300に乗っていました。リックマンズワースからウォーキングまでの50kmほどを、ずっと牽引して走ったんですよ」

「ウォーキングに到着する頃には、サブフレームは外れかかっていました。牽引ロープをサブフレームに巻く必要があったのです。ウーズレー1300の修理は、わたしのウーズレー4/44の修理より高く付いたはずです」

ウーズレー4/44
ウーズレー4/44

ほかにも様々な長距離走行に出かけている。「わたしが初めてウーズレーで楽しんだ長期休暇は、スコットランドのハイランド地方までのドライブでした。イギリス海峡を越えて、ヨーロッパ大陸旅行も何度もしています」

「1975年には、(イタリア北部の)ガルダ湖でハーフシャフトが壊れました。近くのガレージまで牽引してもらい、父へ電話すると、廃車にして帰って来なさい、と。ガレージにそのことを伝え、彼女と一緒に電車に乗って英国に戻りました」

「諦めきれずスクラップ置き場へ行くと、ウーズレーがあり、ハーフシャフトを取り外せました。そのシャフトを持って、北イタリアへ急ぎました。ガレージに向かって、そのハーフシャフトを付けてもらい、英国まで運転して帰りました」

「1974年にもヨーロッパ大陸を旅行しました。2人の友人と一緒に。キャンプをしながらだったので、ルーフラックを付けて。ユーゴスラビアとギリシアを周りましたが、アルプス山脈ではオーバーヒート。冷却効率を上げるために、フロントグリルを外しました。効果は感じれれませんでしたけれど」

乗り越えた旅先のトラブルが愛情の証

「後に、ラジエターの半分が潰れて機能していないとわかったんです。それでも、リアシートに外したフロントグリルを載せて、ヨーロッパ中を走り回りましたね」

「ウーズレーのフロントグリルには、内照式のエンブレムが付いています。そこで配線はフレームに巻いて、エンブレムはボディの別のところから外して付けました」

1974年、ドーバー海峡にて
1974年、ドーバー海峡にて

「雨が降り出し暗くなったのでヘッドライトを付けると、電気系統がショート。スピードメーターは壊れていたので外してあり、メーターパネルには穴が空いていました。エンブレムの配線から火花が散って、穴から煙が入ってきました」

「パニックになって、慌ててキーを抜いて、なぜか窓の外に投げてしまったんです。落ち着いて原因を突き止めて、むき出しの配線に絶縁テープを貼ると、少し焦げていましたが、無事に復活。投げたキーを見つけるのに3時間も探しました。アルプスの草むらに落ちていました」

「ミュンヘンのビール・フェスティバルへ向かった時もありました。アウトバーンを走行中、バルブステムが外れて飛んだんです。バルブがシリンダー内に落ちて、ピストンで弾き飛ばされたのでしょう。旅はそこでおしまい」

「救援の電話をかけると、家族経営のガレージから牽引トラックが来ました。予備のバルブとピストンを探すのに3日掛けましたが、彼らは親切にも待ってくれました。結果見つからず、列車で英国に戻りました」

「それから英国で部品を見つけて、ドイツに戻り、直してもらいました。もちろん、また運転して戻りました。今でもそのガレージからはクリスマスカードが届きます。クルマをどれだけ大切にしているか、わかってもらえると思います」 手のかかる子ほど可愛い、の典型といえそうだ。

続きは後編にて。

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