【進化を続けた伝説の1台】フェラーリ250テスタ・ロッサ ル・マンでの優勝 前編

公開 : 2020.05.24 16:50  更新 : 2020.12.08 11:04

エンツォ・フェラーリが生み出した最高のレーシングマシン。1960年のル・マン24時間レースを制したのが、V型12気筒を積むフェラーリ250テスタ・ロッサです。伝説的な存在といえる1台に、英国編集部が試乗しました。

もくじ

1956年に開発が始まったテスタ・ロッサ
1959年のル・マンへデビュー
エンジン不調でのリタイヤ
続くトラブルと1960年シーズンへの改良
プライベート参戦となったセブリング

1956年に開発が始まったテスタ・ロッサ

text:James Mitchell(ジェームス・ミッチェル)
photo:Luc Lacey(リュク・レーシー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
何を改め、どのように良くするか。実力が発揮される領域だ。経験も大きく左右する。

1950年代のル・マンで大成功を収めたジャガー。その裏側で、地道にモデナのチームがレース経験を20年以上も蓄えていたことを、知らない人も少なくない。

フェラーリ250テスタ・ロッサ(1959年)
フェラーリ250テスタ・ロッサ(1959年)

1950年が終わる頃、スクーデリアは真っ赤なヘッドを備えた駿馬を育てていた。1960年代への飛躍に向けて、虎視眈々と準備を整えていたのだ。

182psを発揮する4気筒エンジンを搭載した、500と呼ばれたテスタ・ロッサが登場したのは1956年。フェラーリがル・マンで初優勝を挙げてから、2年後だった。

1957年になると、より洗練されたスカリエッティ製ボディを備えたTRCが登場する。後にリッチー・ギンサーは、これまでで最も簡単にレースを戦えるフェラーリだと評価している。

毎年、わずかな改良が加えられていった。3.0Lの12気筒エンジンが導入されたのは1958年。前年のプロトタイプを踏まえて、ポンツーン・ボディを獲得している。

大きな活躍を経験し、燃え尽きた雰囲気を匂わせていたジャガー。ポルシェは、次の表彰台を狙っていた。アストン マーティンもグランプリ仕様のDBR4を中止させ、ル・マンを含む、世界スポーツカー・チャンピオンシップにすべてを投入した。

しかし、多くのサーキットで圧倒的な強さを見せたのは、フェラーリだった。アルゼンチンのブエノスアイレスから古い飛行場を利用したセブリング、シチリア島の一般道からル・マンのサルテサーキットまで、勝利を重ねた。

1959年のル・マンへデビュー

1959年になると、テスタ・ロッサ(TR)はファクトリーチーム専用マシンとなり、社外へ販売されなくなった。ボディを手掛けたのはピニンファリーナ。シャシー番号0774を含む、4台の250TRが誕生した。

シーズンの中で、フェラーリは4速と5速のトランスミッション、ドディオン式のリアアスクルのテストを重ねた。ジャガーCタイプとDタイプに影響を受けたと思われるが、4輪ともにディスクブレーキも採用した。

フェラーリ250テスタ・ロッサ(1959年)
フェラーリ250テスタ・ロッサ(1959年)

シャシー番号0774は1959年のル・マンにデビュー。3台の250TRと、1台の196Sの4台体制を組んだ。アストン マーティンとジャガーDタイプのドライバーを、ポディウムへ登らせないために。

加えて3台の1958年式TRと、4台の250GTOもプライベート参戦。フェラーリの存在感を高めるのに貢献した。

1959年シーズン、ル・マン前までの3戦の結果は互角だった。フロリダ・セブリングを制したのはフェラーリ。シチリア島タルガ・フローリオを勝ったのはポルシェ。ニュルブルクリンクはアストン マーティンが勝利した。

ポルシェ718の小さなエンジンは、ル・マンでは競争力が弱かった。しかし、アストン マーティンDBR1とフェラーリ・テスタ・ロッサの間に食い込んだ。

予選をリードしたのはシャシー番号0774の250TR。ドライバーはジャン・ベーラとダン・ガーニーだ。ただし、ル・マンのグリッドポジションは排気量別ではあったのだが。

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