【キャデラックがベースの奇抜なレーサー】 ル・モンスト・ロードスター 前編

公開 : 2020.08.01 07:20  更新 : 2020.12.08 08:32

スパ6時間の完走でレースへ夢中に

ヒストリックカーのレースに関わり出したのは、2013年。アメリカ車を初めて手に入れたのが発端だった。フォードマスタングを購入し、次に1964年式のフォード・ギャラクシーに乗った。

「スパ6時間は、ずっと参加したいレースの1つでした。2015年には参戦だけでなく、完走もできました。途中でブレーキパッドを交換しましたが、当初の目標は達成でき、うれしかたです」

キャデラック・シリーズ61クーペ・レーサー・レプリカ(1950年)
キャデラック・シリーズ61クーペ・レーサー・レプリカ(1950年)

それ以来、デレクと妻のパットはレースへ夢中になった。来シーズンを迎える前には、次のクルマが大西洋を渡る船に乗っていた。2ドアの1950年式キャディラックだ。

「パットはクルマや部品探しの名人なんです。彼女はインターネットで、驚くようなモノをいつも見つけてくれます」 その中に、ブリッグス・カニンガムがル・マンで戦った、3速マニュアルの極めて珍しいキャデラック・シリーズ61クーペがあった。

カニンガムがル・マン24時間レースへ初めて挑んだのが、1950年。ゼネラル・モーターズのトップブランド、キャデラックを2台仕立てて参戦した。

生まれながら裕福だったアメリカ人起業家は、イェール大学時代の友人、マイルス・コリアーとサム・コリアー兄弟ともに、レースへ挑んだ。彼らはオートモビル・レーシングクラブ・オブ・アメリカ、後のSCCAとなる組織を創設した人物でもある。

ル・マン24時間レースへのカニンガムの参戦は、友人との会話がきっかけだった。当初計画したのは、フォード製クーペにキャデラック製の5.4Lエンジンを搭載した、カスタムマシンの「フォーディラック」。しかし、量産モデルではないという理由で、参戦は認められなかった。

シリーズ61クーペがベースのロードスター

当時のキャデラックで社長を務めていたエド・コールは、カニンガムたちのル・マン参戦計画を耳にすると、2台のシリーズ61クーペを用意した。ホイールベースは約3100mmで、同社としては最も小さなモデル。オプションの3速MTが載っていた。

フォーディラックを生み出していた、フリック・タペット・モータースを買収したカニンガムだったが、提供を受けた2台のキャデラックの準備を進めた。1台は標準ボディの2ドア・クーペ。もう1台は奇抜なロードスターへ変化を遂げた。

キャデラック・ル・モンスト・ロードスター・レプリカ(1950年)
キャデラック・ル・モンスト・ロードスター・レプリカ(1950年)

もとのシャシーとドライブトレインを保っていれば、ボディの変更は許されていた。フリック・タペット・モータースの近所にあったのは、航空機大手のグラマン・エアクラフト社。そこで数十人が参加し、一晩でロードスター用のスペシャル・ボディが作られた。

横からの姿は、飛行機の翼の断面に似たフォルムで、空力的には見える。しかし、美しいと呼べるものではない。フランスのジャーナリストからは、ル・モンスト、モンスターと呼ばれた。

コリアー兄弟は、プティ・パトーと呼ばれた標準ボディのキャデラックで参戦。10位で完走する。ル・モンスト・ロードスターをドライブしたカニンガムとフィル・ウォルターズは、11位でコールした。

カニンガムはマイルス・コリアーのアドバイスで、折りたたみ式のシャベルをクルマに積んでいた。案の定、2周目にはレンガのようなロードスターはミュルザンヌ・コーナーのサンドバリアへコースアウト。30分かけて、クルマを掘り出すことになった。

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