【試作車を販売】ジェンセンC-V8コンバーチブル 雨漏りに剛性不足 奇抜な姿 前編

公開 : 2021.02.28 07:05

エンジンは6.3Lのクライスラー製V8

C-V8のコンバーチブルは実現しないかに思われたが、ロンドンでディーラーを営むチャールズ・フォレットからの強い後押しで復活。何とか完成にこぎつけ、1965年5月にプロトタイプがフォレットへ届けられた。

ジェンセンも一安心だったかもしれない。スモークグリーンに塗られたボディにグレーのフードをまとい、Mk-IIとMk-IIIの特長が組み合わされていた。

ジェンセンC-V8コンバーチブル(1965年)
ジェンセンC-V8コンバーチブル(1965年)

メカニズムはC-V8として標準のまま。6.3Lのクライスラー社製V8エンジンに、トルクフライトと呼ばれた3速ATを結合。リーフスプリングとリジットアクスルで支えるリアタイヤで、ボディを力強く進めた。

C-V8コンバーチブルの展開には、やむを得ない理由もあった。同時期のジェンセンは、ボルボとの取り引き不調のほか、ヒーレーのボディ生産の請け負いなど、BMC(ブリティッシュ・モーター・カンパニー)との不安定な業務提携に悩まされていた。

ジェンセンとして、C-V8をはじめとする自社モデルの販売を拡大する必要に迫られていたのだ。リチャードとアランの兄弟は、ニールがスタイリングを手掛けた安価な新モデル、P66にも力を入れたいと考えていた。C-V8を支えるためにも。

しかし、ジェンセン・モータース社は1959年以降ニコラス・グループの経営下にあり、兄弟の意見は通りにくいものになっていた。ニールのP66への注力は、上層部やチーフエンジニアのケビン・ビーティーから強い反発を受ける。

ニコラス・グループ側は、ジェンセンC-V8の販売不振を正しく推測していた。世界的なグランドツアラーとして支持を得られない原因は、デザインだと考えていた。

ソフトトップから盛大な雨漏り

ビーティーはP66のスタイリングを、イタリアのデザイナーへ再依頼。ジェンセンを創業した兄弟とデザイナーのニールはその決定に反発し、後に社を退いている。

そんな背景を知ってか知らずか、プロトタイプのC-V8のコンバーチブルを受け取ったディーラーのフォレット。ショールームへ展示された2週間後、6月18日にピーター・キャリントン卿が最初のオーナーになった。

ジェンセンC-V8コンバーチブル(1965年)
ジェンセンC-V8コンバーチブル(1965年)

46歳だったキャリントンは元オーストラリア大使、高等弁務官で、イギリス海軍の高官。以前からフォレットの顧客として、ジェンセンを乗り継いでいた人物だった。手に入れたC-V8が、唯一の存在だとは知らなかったようだ。

キャリントンはフィアット130クーペへ1974年に乗り換えるまで、6台のジェンセンを順番にガレージへ収めた。オイルショックの時期には、エネルギー大使を務めていたこともある。排気量7.2L、燃費3.9km/Lのジェンセンを好んでいたのだから、皮肉だ。

C-V8コンバーチブルはXYU7のナンバーが与えられ、英国で公道デビュー。しかし雨の日の走行中、盛大な雨漏りに気づく。フォレットへは、その後も沢山の不満が伝えられるが、その筆頭といえる不具合だった。

ケビン・ビーティーへ宛てたメモには、どのように水が濡れるのか詳しく説明されていた。ステッチ回りのほか、フロントガラス周辺からも水が入ってきたようだ。グレーに染められたシートも濡れたという。

ソフトトップの開閉作業もメカニズムの動きが渋く、風切り音も盛大だった。コンバーチブルの仕上がりの悪さを聞かされたリチャード・ジェンセンは、夏休み前にソフトトップの交換を提案している。

この続きは後編にて。

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