公道へ舞い降りた「F2マシン」 F1も開発したエメリー親子 唯一のナンバー付きエメリソン(1)

公開 : 2024.03.31 17:45

研究熱心でF1マシンも開発したエメリー親子 ナンバーを唯一取得した、F2マシンがベースのロードスター 他に例がない公道での没入体験 英国編集部がご紹介

唯一のナンバー付きはF2マシンがベース

ロンドンの北西にある、ブラックリー。この小さな町をかすめる国道A43号線を流していると、積載車で運ばれるレーシングカーをしばしば目にする。シルバーストン・サーキットが近いためだ。

スペアパーツや工具を積んだ、しっかりしたトレーラーに隠されていることもある。SUVのサービスカーが、同行している場合もある。忙しいサラリーマンにとっては、完全な他人事かもしれないが。

エメリソン(1961年/英国仕様)
エメリソン(1961年/英国仕様)

だが、今回のロードスターは正々堂々と公道へ出られる。低いフロントノーズには、JCM 700のナンバープレートが貼られている。1960年代初頭のF2マシンをベースにした、サーキットの外も走れる唯一のエメリソンだからだ。

このブランドを立ち上げたのは、レーシングドライバーのポール・エメリー氏。公道走行できるスポーツカーの開発には、意欲的だったという。彼のビジネス力が、エンジニアとしての才能と同等に高ければ、ロータスに並ぶ名門になっていたかもしれない。

1916年に生まれたポールは、幼い頃からモータースポーツが傍にあった。彼の父、ジョージ・エメリー氏は、グレートブリテン島南部のサリー州へ自動車の整備工場を構えていた。

戦前のブルックランズ・サーキットから、そのガレージは遠くなかった。乗用車の修理がメインだったが、レーシングカーのチューニングも請け負っていたという。

シャシーの研究を深めたエメリー親子

1930年代初頭にブルックランズのオーバルコースが整備されると、レーシングカーの速度域は上昇。潜在能力を引き出す鍵は、シャシーにあると親子は考えた。研究熱心だった2人は、2.3Lエンジンのブガッティ・タイプ35Bを購入し、その理解を深めていった。

ブルックランズのバンクカーブで、ポールはタイプ35Bを思うように操縦できなかった。リーフスプリングが硬い一方、旋回時の負荷でシャシーが変形し、サスペンションがまともに機能していないことが理由だと突き止めた。

エメリソン(1961年/英国仕様)
エメリソン(1961年/英国仕様)

そこでエメリー親子は、フロント側をキャンティレバー方式の半楕円リーフスプリングへ交換。安定性を大幅に高めることへ成功した。かくしてこのアイデアは、今はなきGNというメーカーのモデルをベースとした、複数のレーシングカーへ施されていった。

1936年には、1020ccエンジンを搭載した初の独自マシン、エメリソンを開発。ポールの運転でレースへ参戦し、3位入賞を果たしている。

第二次大戦を挟み、ポールはラダーフレームを設計する。サスペンションには、横向きにトーションバーを組んだスイングアーム式を採用。1087ccエンジンは、2基のスーパーチャージャーでパワーアップされていた。

ところが、マシン開発へ費用を投じすぎたあまり、レース参戦に必要な資金を工面できなかった。そこで託されたのが、レーシングドライバーのエリック・ウィンターボトム氏。彼は期待へ応え、1947年の初戦で勝利を収めてみせた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

唯一のナンバー付きエメリソンの前後関係

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