可憐なボディに直6エンジンのサソリ アバルト2200 スパイダー 不遇な上級モデル 後編

公開 : 2022.06.05 07:06

フィアットとの関係を巧みに利用したアバルト2200 スパイダー。希少なオープン2シーターを英国編集部がご紹介します。

モータースポーツとの結び付きこそ強み

アバルト2200のボディ生産で、1960年代にも成長を叶えたかったカロッツエリアのアッレマーノ社だったが、実際は受注に近い状態だった。1961年には、デザインに手を加えたマイナーチェンジ版が発表されるが、販売が伸びることはなかった。

その年末には、アバルト2400が登場。2200の生産は終了した。美しいボディに包まれているだけでは不十分だった。

アバルト2200 スパイダー(1959〜1961年/英国仕様)
アバルト2200 スパイダー(1959〜1961年/英国仕様)

フィアット2300へ大幅に手が加えられた2400には、2323ccの直列6気筒エンジンが搭載されていたが、こちらもアバルト&C社を勢い付けることはできなかった。同社の上級モデルへの挑戦は、1964年で途絶えている。

なぜ6気筒エンジンが支持を集められなかったのか、振り返ってみると疑問を抱かずにはいられない。マーケティング能力に長けたカルロ・アバルト氏のことを考えると、尚のこと。

しかし、アバルト&C社の軸となっていたのはレーシングマシン。モータースポーツと強く結び付いた公道用モデルにこそ、ブランドの強みがあったのだ。2200にも、アバルトらしい裏付けが必要だったといえる。

フィアットが販売した、2300 Sという存在も足を引っ張った。カロッツエリア・ギア社による美しいクーペだ。

海外での評判も今ひとつ。英国向けとして右ハンドル車が作られたのは、3台しかない。クーペが2台を占めたが、1台は1960年代に破壊されている。もう1台が、今回ご紹介するスパイダーだ。

輸入したのは、代理店のアンソニー・クルック・モーターズ社。英国価格は4076ポンドで、アストン マーティンDB4より高価だった。

にぎやかに飾られない可憐なボディ

2200全体の生産台数は、明らかではない。アバルトに詳しい人の間では、すべてのボディタイプを含めても30台以下だと考えられている。

この右ハンドルの2200 スパイダーは、英国で自動車販売業を営んでいたロバートJグッドフェロー氏が購入。その後、地球物理学者のサー・ウィリアム・ピゴット・ブラウン氏が、現在の115 GOTというナンバーで登録し直したようだ。

アバルト2200 スパイダー(1959〜1961年/英国仕様)
アバルト2200 スパイダー(1959〜1961年/英国仕様)

いつの時点で彼が手放したのかは不明だが、1980年代にロベルト・ジョルダネッリ氏がオーナーに。レーシングドライバーで自動車ジャーナリストだった彼はアバルトのレストアを始めたが、作業をスティーブ・スミス氏が引き継ぎ、仕上げている。

美しく整えられた2200を、2006年にサラ・ビレット氏とビル・ビレット氏という夫妻が購入。当時の雰囲気に合わせて手を加えながら、現在まで大切に維持している。

アルミホイールは、当初フィアット130用のものを履いていたというが、幅の細い一般的なスチールホイールへ交換。クロームメッキされたホイールキャップで飾った。

コーチビルダーの手掛けたスパイダーとして、コンクール・イベントで評される状態にある。だが、アバルトらしくドライバーズカーでもある。

スケール感が湧きにくいが、アバルトとしては大きいものの、現代のクルマに見慣れていると小ぶりに感じられる。全長は4610mmあるが、にぎやかに飾られることもなく、可憐な印象を与えてくれる。

記事に関わった人々

  • 執筆

    リチャード・ヘーゼルタイン

    Richard Heseltine

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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