【始まりのキットカー】1959年式ジネッタG2 現存は6台以下 部品の山から再生 前編

公開 : 2021.08.08 07:05  更新 : 2022.08.08 07:27

キットカー市場へ遅れて参入したジネッタ

本来の能力として、想定通りの走りなのかもしれない。やはり、ジネッタは素晴らしい。キットカーの製造メーカーとスポーツカーの量産メーカーとの、微妙な境界線上に60年間以上存在してきた名高いブランドだ。

近年ではシングルシーターのレーシングカーや、スポーツ・プロトタイプと呼ばれるマシンまで、高度なマシンを開発しているジネッタ。その原点となるモデルが、このG2だといえる。

ジネッタG2(1959年/英国仕様)
ジネッタG2(1959年/英国仕様)

1950年代の英国に訪れた、キットカーのスポーツ・スペシャルというブーム。血気盛んな若者の想像力を、多方面でかき立てることになった。戦後からの立ち直りを経て、入手可能な部品を集めてオリジナルのスポーツカーを作ろうという、機運があった。

ある調査によると、この期間に述べ2万2000台ものキットカーが英国で作られたという。かなりの量だ。しかし、完成させるにはかなり複雑な作業が必要となる。未完成のまま、ガレージに寝かされた例も多いはず。

スポーツ・スペシャルに遅れて参入したのが、ジネッタ。1958年にG2が発売されるが、現代まで生き延びるブランドになると想像した人は、少なかっただろう。

ライバルのキットカーと比較して、冒険的な要素は少なかった。量産へ移行する前に、手作業で試作されたのはワンオフ状態の1台のみ。キットカーとして、珍しいことではなかった。それでも、クルマの見栄えはかなり良かった。

チューブラー・シャシーにアルミ製のボディ

ジネッタ創設者の1人、アイバー・ウォークレットは、ウーズレー・ホーネットの基礎構造を流用したロードスターを制作した。アルミニウムで形作られたボディは、グランプリマシンのマセラティ4CLTにそっくりだった。

ところが、アイバーが作り上げたロードスターは、英国東部サフォーク州のワインディングを走行中に立木へ衝突してしまう。いささか熱心に走りすぎたらしい。

5人兄弟の末っ子だったアイバーは事故にめげることなく、兄のトラバースとともに別の1台へ着手する。だが完成までの時間を惜しみ、シンプルな設計を選んだ。

2人はウーズレーのスポーツ・スペシャルでの経験を活かし、チューブラー・スペースフレーム構造のシャシーを作った。フォード社製アクスル・アッセンブリーをそのまま組める、マウントポイントが特長だ。

ステアリング系やエンジン、トランスミッション、ラジエターなどを、加工せずにシャシーに搭載できた。リーフスプリングも、横向きでそのまま取り付けられた。必要な改良は、ステアリングコラムの延長と、プロペラシャフトの短縮だけ。

エンジンはフロントアクスルやステアリング・リンクより、後ろの低い位置に積めた。アルミ製のボディパネルも、シャシーのフレームへ固定できた。

アルミシートが、パイプへリベットで打ち付けられた。フロアやトランスミッション・トンネル、バルクヘッドなども同じ構造だ。複雑な造形といえば、前端のノーズコーンくらい。ここは、グラスファイバーで成形されている。

この続きは後編にて。

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