ただ一人のオーナーに愛された「初代クラウン」 登録時のナンバーのまま再生

公開 : 2022.02.20 20:15  更新 : 2022.04.27 17:04

ボディとフレーム「ピタリとおさまった」

その条件を約束してA氏のクラウンを譲り受けた神奈川トヨタでは、クラウン誕生60周年を記念して2016年に行われるイベントのパレードに参加すべく、フルレストアを行う。

ボディカバーは掛けられていたが青空駐車だったというA氏のクラウンは、マメにワックスをかけられて外装はキレイだったが、さすがにロッカーパネル、フロア(とくにトランク下)などは腐食していた。

観音開きのドアを開き、車内に乗り込めるようになっていたので、ノスタルジック2デイズの会期中は多くの来場者が足を止めた。A氏との約束は今も守られている。
観音開きのドアを開き、車内に乗り込めるようになっていたので、ノスタルジック2デイズの会期中は多くの来場者が足を止めた。A氏との約束は今も守られている。    AUTOCAR JAPAN編集部

それでも、分解してフレームだけにしてサビを落として塗装をし直し、再びボディを載せると「ピタリとおさまった(神奈川トヨタ渉外広報部 加藤久雄 渉外担当室長)」。それだけ、フレームに狂いはなかったのだ。

エンジンや駆動系もオーバーホールされた。インテリアでは、シート地はフロントは張り替えたが、リアは新車時のものを直して使っている。美しく再塗装されたボディは、ガラスコーティングが3回も施されている。

BFグッドリッチ製のホワイトリボン・タイヤは、日本では入手できず海外から取り寄せた。消耗部品は、「生涯、乗り続ける」と決めていたA氏が多くをストックしていたので、それも活用することができた。

2年近くの期間をかけて(実作業は1年くらいだったそうだが)フルレストアされたA氏のクラウンは、「クラウン・ジャパン・フェスタ」と名づけられて2016年に開催されたクラウン誕生60周年記念イベントで、生まれ故郷である愛知県豊田市の元町工場からゴールの東京・代官山までの430kmをノートラブルで走りきった。

だが、残念ながらA氏はその姿を見ることなく彼岸へと旅立っていた。

今も公道走行可能 生きた教材に

1955年に新車登録された当時のナンバープレートを付けたA氏のクラウンは、もちろん今もA氏との約束どおり神奈川トヨタが所有している。

最新の燃料電池自動車「ミライ」と並べて展示されたり、小学校の体験授業における「生きた教材」として子ども達と過ごしたり、レストア訴求のためのイベントなど、さまざまな場所で活躍している。

矢羽式の方向指示器ももちろん作動する。小学校の体験授業に持ち込むと、現代のウインカーしか知らない子ども達は「シャケの切り身が出てきた」と喜ぶのだとか。
矢羽式の方向指示器ももちろん作動する。小学校の体験授業に持ち込むと、現代のウインカーしか知らない子ども達は「シャケの切り身が出てきた」と喜ぶのだとか。    AUTOCAR JAPAN編集部

そして、A氏とのもう1つの約束「一人でも多くの人に見てもらう」も果たされている。

ノスタルジック2デイズの会場でもドアは開け放たれており、多くの人がこのクラウンに乗り込んで、記念写真を撮ったり、ハンドルを握ったりしながら「カッコいいね」「キレイだね」と笑顔を見せていた。

ただ一人のオーナーに愛され、彼の亡き後も遺志を受け継いで美しくレストアされ、多くの人に見てもらえるA氏の初代クラウンは、博物館で余生を送るのではなく、現在も公道を走っている。

これほど幸せなクルマは、世の中にそうはないだろう。そして、このクルマを愛し続けたA氏のクルマ人生も、幸せだったに違いないと思わせてくれるのだった。

記事に関わった人々

  • 編集

    徳永徹

    Tetsu Tokunaga

    1975年生まれ。2013年にCLASSIC & SPORTS CAR日本版創刊号の製作に関わったあと、AUTOCAR JAPAN編集部に加わる。クルマ遊びは、新車購入よりも、格安中古車を手に入れ、パテ盛り、コンパウンド磨きで仕上げるのがモットー。ただし不器用。

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