米製4.0L直8エンジンに英製ボディ レイルトン・ロードスター 息子が好んだブルー 前編

公開 : 2022.11.13 07:05

実際に体験すると信じられない高性能

当時の英国の自動車愛好家からは、アメリカと自国の寄せ集めスポーツカーだと非難されたようだ。それでも、レイルトン・テラプレーンは、単にブランド名を置き換えただけの内容とは違っていた。

ラジエターやダンパーが新しいだけでなく、軽量化も施されていた。当時のAUTOCARで試乗したサミー・デイヴィス氏は、その仕上がりに感銘を受けている。

レイルトン・ロードスター(1937年製シャシー/英国仕様)
レイルトン・ロードスター(1937年製シャシー/英国仕様)

「このクルマの高性能ぶりは、実際に体験すると信じられないものだとわかります。サルーンやツアラーで499ポンドという価格は、他の高性能モデルと比較しても驚くほど低い設定です」

実際、彼は1934年のラリー・モンテカルロへレイルトン・テラプレーンで参戦。3位入賞を果たしている。同年のアルパイン・トライアル・ラリーでも好成績を残した。

マックリンは販売戦略にも長け、著名な自動車愛好家もレイルトンを選ぶようになっていった。レーシングドライバーのホイットニー・ストレート氏や、アストン マーティンへ展開する事業を立ち上げたライオネル・マーティン氏もそこに含まれていた。

イタリア人技術者のアキレ・サンピエトロ・トムソン氏も、アルプスのステルヴィオ峠でレイルトン氏とともにドライブ。洗練された4.0Lエンジンのパワーと、トップギアでの豪快な走りに魅了されたようだ。

1933年から1939年に約1400台を製造

ボディはフリーストーン&ウェッブ社以外にも、ユニバーシティ社やキャリントン社、クレアモント社など複数のコーチビルダーが担当。アメリカ製の堅牢なメカニズムを、英国流の上品なボディで包み、様々なドライバーの好みに対応した。

1933年から1939年にかけて、当時としては少なくない約1400台のレイルトンが、複数のバリエーションでラインオフしている。ハドソン・モーター社によるアップデートを受けながら。

レイルトン・ロードスター(1937年製シャシー/英国仕様)
レイルトン・ロードスター(1937年製シャシー/英国仕様)

派手なドライビングスタイルで、マッドジャックという愛称が与えられていたシャトルワース氏も、そのタフさとパワフルさに魅了された。サルーンに軽量な16インチ・ホイールを履かせるなど、改造も試みていた。

1936年、リチャードは航空機のエンジンをトレーラーに積んで走行中、モーリス10HPと衝突。モーリスは完全に破壊されたが、レイルトンはヘッドライトが1つ外れ、ボディとアルミホイールの損傷程度で済んだという。

彼は数台のレイルトンを所有していた。その1台、シャシー番号741240のクルマは、当時105.6ポンドでマックリンから購入している。

当初はボンネットとスカットル、運転席だけをシャシーに載せた状態で、7000エーカー(約857万坪)もの広大な敷地を走り回っていたそうだ。だが、しばらくしてシャシーを短縮し、リチャード自らデザインしたスポーツボディを載せることを考えた。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

米製4.0L直8エンジンに英製ボディ レイルトン・ロードスター 息子が好んだブルーの前後関係

前後関係をもっとみる

おすすめ記事

 

クラシックの人気画像