社員からのクリスマス・プレゼント ウーズレー25 ドロップヘッド・クーペ 特別な手作り 前編

公開 : 2023.05.27 07:05

ワンオフで作られた2ドア・コンバーチブル

1912年にモーリス・モーター社を創業し、1924年にモーリス・ガレージ、後のMGを立ち上げたナフィールドは、慈善家としても広く知られていた。当時は、英国で最も寛大な考えを持つ人物の1人だった。

彼の意志は自動車業界を越え、現在も残るナフィールド財団やオックスフォード大学のナフィールド・カレッジなどの創設にも繋がっている。

ウーズレー25ドロップヘッド・クーペ(1937年式/英国仕様)
ウーズレー25ドロップヘッド・クーペ(1937年式/英国仕様)

1936年には、自身が保有していた200万ポンド相当のモーリス・モーターズ株、100万株を従業員基金へ寄付。配当金は、自社の従業員のボーナスとして充てがわれた。当時としては珍しいほどの厚遇といえ、仕事に対する意欲を高めたことだろう。

彼は多忙だったこともあり、1930年代後半にはウーズレー・モーターズにおける影響力は限定的になっていた。それでも、トップとして尊敬は集めていた。

ナフィールドへ贈られたクルマは、当初は1台限りの手作りだったと考えられる。美しい装飾が施された4シーターの2ドア・コンバーチブルをイチから製造するには、小さくない費用と手間が必要だったはず。

1937年、ウーズレー・モーターズの社員約4000名が、それぞれ2シリング前後を提供。当時の価値としては、1週間の稼ぎの3%程度だったようだ。

カンパで集まった予算は、恐らく400ポンド前後。量産版の25 ドロップヘッド・クーペの英国価格は498ポンドだったため、ディーラーの利益などを省いたと考えれば妥当な金額ではあるが、その数倍の費用を掛けて作られたことは間違いない。

シャシーは1938年に発売される新モデル用

ナフィールドの25 ドロップヘッド・クーペが完成するまでのプロセスは、解明が難しい。残念なことに、記録は一切残っていない。1938年4月1日に発売された初期の量産モデルを、当時のAUTOCARでは次のように紹介している。

「ベースとなっているのは、最新版のスーパーシックス用シャシー。三角形のメンバーで補強された、専用のボックスセクション・フレームが備わっています。

ウーズレー25ドロップヘッド・クーペ(1937年式/英国仕様)
ウーズレー25ドロップヘッド・クーペ(1937年式/英国仕様)

「ホイールベースは8フィート8.5インチ(約2654mm)。スーパーシックス・サルーンより、12インチ(約305mm)ほど短縮されています」

ところが、この情報は正確ではなかった。寸法は合っているが、シャシーは1937年の新開発。本来は、1938年に発売されるウーズレー14や16、18HPといったモデルへ向けて設計されたものだった。

25 ドロップヘッド・クーペも、これをベースにしていた。新しい試作シャシーが仕上がった段階で、特別なコンバーチブル・ボデイが作られ、プレゼントされたのかもしれない。憶測にすぎないが。

その頃、リアのクオーターウインドウが備わる、丸みを帯びた2ドアボディは珍しかった。そこでウーズレー・モーターズは、台数限定での生産を決めたと考えても不思議でなない。第二次大戦後が始まるまでに、153台がラインオフしている。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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