既存技術の寄せ集めだけじゃない ジェンセン541 FRPボディのグランドツアラー(1)

公開 : 2023.10.28 06:45

既存技術を積極的に流用したグランドツアラー 大胆なスタイリングのFRP製ボディ アストンやジャガーへ対峙 英国編集部が4種を比較

既存技術を積極的に流用したジェンセン

1950年代初頭、オースチンやモーリス、ジャガー、ローバーといった英国の大手自動車メーカーは、戦前の技術からの脱却に燃えていた。新しいデザインを施し、革新的な次世代を生み出そうと努めていた。

従来より速く安全で快適なクルマを、英国市民は求めていた。お手頃な価格で。

ジェンセン541(1955〜1960年/英国仕様)
ジェンセン541(1955〜1960年/英国仕様)

ただし、自動車メーカーの規模と、進化の速度が一致したわけではない。既存の技術を積極的に流用しつつ、卓越したグランドツアラーを短期間に生み出したジェンセンは、例外だった代表の1社といっていいだろう。

1934年にアラン・ジェンセン氏とリチャード・ジェンセン氏という兄弟が創業したジェンセン・モーターズ社は、ウーズレー・ホーネット・スペシャルのボディや商用車の特装を中心に成長。独自モデルの提供を目標に掲げていた。

第二次大戦を経て、その野心は2種類の量産車として体現された。その1つが、1946年のPWという大型サルーン。しかし、生産数は18台と少なかった。

もう一方が、1950年から1957年に提供され、成功といえる売れ行きを掴んだインターセプター。このモデル名は、同社の代名詞のような存在になった。1966年に提供された2代目を、ご記憶の方もいらっしゃるだろう。

戦後間もない英国では、スチール材の供給が追いつかず高価だった。そこでジェンセン兄弟は、インターセプターのトランクリッドを新素材だったグラスファイバー(FRP)で試作。結果は上々で、次期モデルはボディ全体を構成することになった。

独自のFRPボディに強固なパイプフレーム

FRPボディは投資額が少なく済み、少量生産に適していた。当時ジェンセン・モーターズに属していたデザイナー、エリック・ニール氏が描き出す、奇抜なスタイリングの実現にも好適だった。

かくして生み出された541には、未来的なフォルムが与えられた。オースチンの風洞実験施設で計測した、空気抵抗を示すCd値は0.365。当時としては、かなり低い数字へ抑えられていた。

ジェンセン541(1955〜1960年/英国仕様)
ジェンセン541(1955〜1960年/英国仕様)

ジャガーXK140などと比較して、実用性も悪くなかった。大人は長距離移動に耐え難いかもしれないが、2+2のシートレイアウトを確保。クラムシェル状のボンネットは大きく開き、メンテナンスもしやすかった。

パワートレインや補機類を供給したのはオースチン。3993ccのオーバーヘッドバルブ直列6気筒エンジンは、戦後の大型サルーン、プリンセスやシアラインに搭載されていたもので、最高出力は118psへ僅かにチューニングが加えられた。

トランスミッションも、シアライン用の4速マニュアル。オプションでオーバードライブを指定できた。

それらが積まれた、ジェンセンによるシャシーは驚くほど強固だった。直径5インチ(約127mm)の鋼管パイプ2本が主要構造で、4本のクロスメンバーで結ばれ、補強パネルで剛性を高めていた。

サスペンションは、フロントがコイルスプリングにダンパーという独立懸架式。オースチンA70用のコンポーネントへ、改良を加えたものだった。リアのリジッドアクスルは、パナールロッドとリーフスプリングで支持される。

記事に関わった人々

  • サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ジェンセン541 FRPボディのグランドツアラーの前後関係

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