400GTの美しい後継車 ランボルギーニ・イスレロ S V12を味わうグランドツアラー 前編

公開 : 2022.12.03 07:05

フェルッチオ本人が考案した4台目のモデル、イスレロ。5台のみ作られた右ハンドルのSを、英国編集部がご紹介します。

雰囲気が異なる2+2のグランドツアラー

イスレロという名は、闘牛士のマヌエル・ロドリゲス氏の命を奪った雄牛を由来とした。1960年代後半、2+2のグランドツアラーを生み出していたランボルギーニだが、その前後のモデルとは少し雰囲気が異なるように受け取れる。

ミドシップ・スーパーカーのミウラや、同じく2+2のグランドツアラーだったエスパーダも極めて個性的なモデルだった。しかし同時期に生産されていたイスレロは、そのどちらとも違う。

ランボルギーニ・イスレロ S(1969〜1970年/英国仕様)
ランボルギーニ・イスレロ S(1969〜1970年/英国仕様)

ブラックに輝く縦型のエンブレムを確認しなければ、どこのブランドなのか想像しにくい。スイスに存在したモンテヴェルディのマークが付いていても、不自然には感じないかもしれない。

このイスレロは、ランボルギーニを創業したフェルッチオ・ランボルギーニ氏が直接考案した4台目のモデルに当たる。柔らかな曲線のボディに包まれた400GTの後継モデルで、継続採用されたメカニズムなどは多い。

スチールパイプが組まれた、チューブラー・シャシーという骨格も同じ。だが、長さは少し短く幅は広い。車重が意識され、150kgも軽く仕上がっていた。

発表されたのは1968年のジュネーブ・モーターショー。ボディを手掛けたのは、ランボルギーニ350GTを手掛けるものの活動停止が迫っていた、カロッツェリア・トゥーリング社に在籍したマリオ・マラッツィ氏だ。

エンジンは4.0L DOHC V型12気筒

1966年のミウラで大反響を集めたことで、若き創業者が得た自信から導かれた新モデルだったのかもしれない。フェルッチオの指示通り、シックなビジネスマンが乗りこなせるグランドツアラーを、ランボルギーニの技術者は完成させた。

イスレロでも、前後にディスクブレーキと独立懸架式サスペンションを採用。内装はゴージャスに仕立てられ、ミウラに迫る動力性能が洗練されたパッケージングでまとめられている。目の肥えた顧客へ応えられるように。

ランボルギーニ・イスレロ S(1969〜1970年/英国仕様)
ランボルギーニ・イスレロ S(1969〜1970年/英国仕様)

フロントに搭載されるエンジンは、技術者のジョット・ビッツァリーニ氏が設計した4.0L DOHCのオールアルミ製V型12気筒。ジャンパオロ・ダラーラ氏によって調整が加えられ、最高出力は当初330psを発揮した。

その結果、得られた0-97km/h加速は6.0秒。最高速度は257km/hで、ミウラを凌駕する高速安定性を発揮したという。

生産開始から1年後の1969年、125台が完成したところでイスレロ Sへアップグレード。最高出力が25ps増強され、フェンダーは膨らみを増した。車内換気を目的にボンネットへエアスクープが設けられ、ダッシュボードも変更されている。

1970年、100台のイスレロ Sが生産されモデルライフは終了。北米市場を強く意識したハラマへ交代している。

右ハンドルのイスレロ Sは5台だけ作られ、2台が英国へ上陸した。今振り返ると、なぜこれほど少数しか売れなかったのか不思議だ。当時の英国価格は8000ポンドとランボルギーニとしては安く、ミウラやエスパーダより2000ポンド以上も下回っていた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジェームズ・エリオット

    James Elliott

    英国編集部ライター
  • 撮影

    トニー・ベイカー

    Tony Baker

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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