創始者フェルッチオ・ランボルギーニのカウンタック

公開 : 2017.04.16 00:00  更新 : 2017.05.29 19:21

手元に残した唯一のクルマ

フェルッチオは自分の会社との公式な関係を断ち切るにあたって、このカウンタックを手元に残した。70年代初期の景気後退が彼の事業を蝕み、労働組合の闘争がそれに拍車をかけた。もっと深刻だったのは、トラクターの受注キャンセルだ。ボリビア政府からの注文で生産した5000台が、現地の政治革命で宙に浮いてしまった。

その結果、72年に自動車事業の株式の51%をスイス人投資家のジョージ・アンリ・ロゼッティに売却。その2年後には残りの49%もレネ・ライマーに売り渡さざるを得なかった。それでも70年代を通じてキャッシュフローは綱渡りを続け、サンタアガタにあまり目を向けないふたりの新オーナーはやがて、サプライヤーがフェルッチオに代金支払いを迫らなくなる解決策をとるに至った。倒産させたのだ。

自身のカウンタックに乗るフェルッチオ。彼の奥さんもこれを運転した(上)。我らがカウンタックと、フェルッチオが作ったもうひとつのマシーン。


1978年、ランボルギーニは倒産法の適用を申請し、管財人の管理下に入った。それはおそらく、考え得る限りの最良の方策だったのだろう。管財人に任命されたアレッサンドロ・アルテーゼは自動車愛好家だ。彼はマセラティ出身のジュリオ・アルフィエーリと共に、ランボルギーニの再建に労をいとわなかった。そして1980年、フランス人のミムラン兄弟(24歳のパトリックと35歳のジャン-クロード)が全株式を取得。彼らはランボルギーニの経営基盤を強化し、再び活気をもたらすことに成功した。カウンタックの生産台数は微々たるものになっていたが、それでもその存在こそがサンタアガタの生命線だったのである。

葡萄畑で働いていた晩年

当時のフェルッチオはと言えば、ウンブリア州で葡萄畑を営み、自前のブランドのワインを生産。後に葡萄畑にゴルフコースを作った。好きなことをやり遂げる人生だったのだろう。「彼にとって他にできることはなかった」とファビオは告げる。「フェルッチオは自分の葡萄畑でも手を汚すことを気にせず働き、自分でできることを誰かに頼むことは決してなかった」

チェントの町の中心に建立されたフェルッチオの記念碑。


「彼はさまざまな分野で存在感を発揮し、多くの成功も収めた。(ランボルギーニの経営から退いた後も)リタイアなど考えず、ロマーノ・アルティオーリが始めたブガッティEB110のプロジェクトに協力したように、いつも誰かの手助けをしようとしていた人だ。午前中は葡萄畑で働き、午後はどこかの会社を訪問して新しいアイデアを思い付く。何か新しい刺激を求めて世界中を歩き回っていたのだ」

ところで、エミリア・ロマーニャ州にかくも多くの偉大なカーメーカーが育った理由を、ファビオはどう考えているのか? 「ここは農業地帯だ。機械化が必要で、機械の進化を求めることがこの地方の文化になっている。だから人々は機械を学び、優秀なメカニックやエンジニアが育つ。機械に情熱を持つ人が多い土地柄なのだ」

フェルッチオを成功したビジネスマンだと思っている人もいるだろうが、彼は第一義的にエンジニアだった。工場でメカニックたちと話すことが何より大好き。エンジンのテスト中には、いつも手放さないタバコを1本取り出し、エアボックスに押し当てて振動の具合をチェックしたという。

チェントの町の中心にある「フェルッチオ・ランボルギーニ広場」には、その銘板が掲げられている。


レストランを出て少し歩き、ランボルギーニ家の墓にお参りした後、ファビオに別れを告げ、カウンタックをチェントの町外れまで返却に行くこととした。ツイスティな道を探しながら遠回りしたのは言うまでもない。そこでのカウンタックの反応も素晴らしい。タイアのグリップは驚くほどだし、ハードに攻めてもフラットで落ち着いている。ちなみにこのクルマのタイアは前後共にオリジナルと同じサイズ。フロントの205/50VR15は今では入手不可能なものである。

時代を超えて語り継ぐべきスーパーカー

LP400Sはブレーキも強化されており、4ポット・キャリパーと大径ディスクのおかげでストッピング・パワーはまさに印象的だ。路面のコンディションが悪くてクルマのパフォーマンスを持て余すような状況でも、何事もなかったように通り過ぎてくれるのは驚くべき発見だ。ボブ・ウォレスがサスペンションやハンドリングをミサーノ・サーキットで仕立て上げた時間は、無駄ではなかった。時を経るにつれてスタイリングの大袈裟さが増し、いささか漫画っぽくなったとはいえ、カウンタックが内に秘めた能力を見過ごしてはいけない。

シンプルに言えば、V12を積むランボルギーニをドライブするのは魂に響く経験だ。ましてやフェルッチオが愛したカウンタックを彼の故郷で乗るとなれば、この上なく光栄なことである。あらゆる意味で、彼は傑出したキャラクターの持ち主だった。会社は70年代後半に挫折したとはいえ、時代を超えて語り継ぐべきスーパーカーを我々に残してくれたのだから……。


ランボルギーニ・カウンタックLP400S

生産期間 1978〜1982年
生産台数 238台
車体構造 鋼管スペース・フレーム/スティール・ボディ
エンジン形式 水冷V型12気筒3929cc、ウェーバー45DCOEキャブレター x 6
エンジン配置 ミド
駆動方式 後輪駆動
最高出力 380ps/7500rpm
最大トルク 37.0kg-m/5000rpm
変速機 5段M/T
全長 4140mm
全幅 1995mm
全高 1029mm
ホィールベース 2443mm
車輛重量 1351kg
サスペンション 4輪ダブル・ウイッシュボーン + コイル
ステアリング ラック&ピニオ
ブレーキ 4輪ベンチレーテッド・ディスク
0-100km/h 5.9秒
最高速度 290km/h

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