ヴィンテージ・リバイバル・モンレリー

2017.5.6-7

拘りのヴィンテージカー好き集結! パリ近郊「モンレリーサーキット」で開催されたディープなクルマ好きのお祭り。一緒に「1920年代」にタイムスリップしましょう!

text & photo:Kunio Okada(岡田邦雄)

 

1920年代にタイムスリップ

「フレーザー・ナッシュやGNが集まるイベントが5月にモンレリーであるから、来ないか」と誘われたのは、今年のレトロモビルのアミルカーのスタンドに立ち寄った時だった。オートドローモ・モンレリーはパリから南へ向かって、1時間あまりのところにあるサーキット。完成したのは1924年で、ヨーロッパではイギリスのブルックランズ(1907年)、イタリアのモンツァ(1922年)に続く、3つ目のサーキットである。


第1次世界大戦が終わった1920年代は、パリが世界の享楽の中心となりアメリカ人も日本人も、世界中から何かを求めてくるエトランゼたちが集まり、ジャズとダンスとシャンパンの時代だった。その頃のモンレリーのパドックも、パリの社交界の延長であり、とても華やかだったという。富豪やそれをとりまく美しい貴婦人たちがいて、そこでは、レーサーたちは、英雄でありスターだった。その頃はレース中もピットインのたびにシャンパンを飲んだり、葉巻をくわえながら走ったりと、それが粋な時代だった。

モンレリーは、そんな1920年代の記憶に満ちたサーキットである。しかし、実はわれわれの記憶にだって残っていて、1972年までパリ1000kmレースが催され、ポルシェ917やフェラーリ512Sを打ち負かす地元マトラの活躍が日本の自動車雑誌でも伝えられていた。また映画『男と女』や『冒険者たち』にも登場するサーキットであるから、日本でも知られていないことはないはずだ。


私が初めてモンレリーを訪れたのは1996年ごろのことだと思う。やはりヒストリックカーのイベントで、フランスの様々なワンメイククラブが集まって、多種多様なフランスの古今のクルマの世界を一望にできた。戦後車にしても、少数派のDBやマトラなどが多数、集まってきていた。同行したパリ在住の吉田秀樹画伯の友人のクルマに乗せてもらって、バンクを走るという得難い体験をしたが、その時にはバンクの上のほうからブガッティを抜いたが、横に並びながらも、われわれは上から見下ろし、またブガッティの乗員は下から見上げているというその光景が非日常的で不思議な感覚だった。

今回も戦後のフランス車にも久しぶりに出会えるだろう、と思って赴いたのだが、ちょっと勝手が違った。今回の主役はそのタイトルどおり、ヴィンテージカーであることくらいは想像できたが、少しは戦後のルネ・ボネやDBなどもいるだろうと勝手な先入観を抱いていたのが、見事に戦前のクルマのみだった。しかも、大挙してイギリスからやってきているようだった。
 

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