歴代全GT-R集結!ファン感謝イベント『FOREVE“R”〜GT-Rファンは永遠に〜』日産本社ギャラリーで開催【会場写真200枚】

公開 : 2025.11.24 07:05

日産はR35型GT-Rの生産終了を受け、ファン感謝イベント『FOREVE“R”~GT-Rファンは永遠に~』を11月22~24日に日産グローバル本社ギャラリーで開催。開場前に撮影したイベントの様子を紹介します。

GT-Rファンは永遠に

日産自動車(以下日産)は、R35型『日産GT-R』の生産終了を受け、その歴史とファンへの感謝を込めた特別展示イベント『FOREVE“R”~GT-Rファンは永遠に~』を11月22~24日の3日間、日産グローバル本社ギャラリーで開催している。

1969年に初代PGC10型が誕生して以来、約半世紀にわたり『日産の走りの象徴』としてクルマ好きを魅了してきたGT-R。2007年には現行型となるR35型が復活する形で登場し、以来18年間に渡り愛されてきたが、8月25日をもって生産を終了した。

ファンへの感謝を込めた特別展示イベント『FOREVE“R”~GT-Rファンは永遠に~』を開催。
ファンへの感謝を込めた特別展示イベント『FOREVE“R”~GT-Rファンは永遠に~』を開催。    山田真人

こちらのイベントでは日産が所有する歴代GT-Rのロードカーやレーシングカーを一堂に展示し、GT-Rの歩みを振り返ることができる。会場にはGT-Rを象徴する丸型テールランプをモチーフにしたモニュメントを設置。メッセージを添えて『Rへの想い』を残すことができるようになっている。

他にも23日には『R32カルソニック・スカイラインGT-R グループA』が『真庭速祭』でデモ走行を行った様子が放映され、24日には同車をドライブしたGT500ドライバー、平峰一貴選手のスペシャルトークショーを予定している。

これだけのGT-Rが一ヵ所に集まる機会はめったになく、初日開場前に行った撮影時も、入場を今か今かと待ち受ける熱心なファンの列ができていた。ここではキーとなるモデル数台をピックアップしてご紹介する。

誰もが思い浮かべる定番『ハコスカGT-R』

1972年KPGC10型 スカイラインハードトップ2000GT-R

国内ツーリングカーレースにおいて無敵の強さを誇ったスカイライン2000GT-R(PGC10型)は、4ドアセダンとして1969(昭和44)年に発売された。

翌1970年(昭和45年)には、旋回性能向上と軽量化のためにホイールベースを70mm短縮した2ドアハードトップ(KPGC10型)へと進化。リアに黒いオーバーフェンダーが純正装着されたハードトップ2000GT-R の姿は、『ハコスカGT-R』といえば誰もが思い浮かべる定番として愛さた。

1972年KPGC10型 スカイラインハードトップ2000GT-R
1972年KPGC10型 スカイラインハードトップ2000GT-R    山田真人

純粋レーシングカーであるR380用の技術を投入した2L直列6気筒DOHC4バルブのS20型エンジン、大容量 100Lの燃料タンク、リクライニング機構のないバケットシート、快適装備が省かれたスバルタンな内装などの特徴は、セダンからそのまま引き継がれた。

戦闘力を増したハードトップの投入によって、レースではGT-R の勢いに拍車がかかり、1972(昭和47)年3月、ついに前人未到の累計50勝を達成。同年10月のワークス活動休止までに、通算52勝という大記録を打ち立てた。

記事に関わった人々

  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。
  • 撮影

    山田真人

    Makoto Yamada

    1973年生まれ。アウトドア雑誌編集部からフリーランスカメラマンに転身。小学5年生の時に鉄道写真を撮りに初めての一人旅に出たのがきっかけで、今だにさすらいの旅をするように。無人島から海外リゾート、子どもからメガヨットと幅広い撮影ジャンルを持つ。好きな被写体は動くものと夕陽。

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