【追悼】日本人「ホットウィール」デザイナー リュウ・アサダ氏偲ぶ120台 米に集う

公開 : 2021.05.27 05:50  更新 : 2022.03.25 18:49

ミニカーで昇華したアサダ氏のデザインセンス

ミニカーデザイナーとしてアサダ氏はどれくらい凄い人だったのか。

ホットウィールをさらに魅力的な唯一無二の存在に作り上げるカスタマイザーとして、これまた海外にもその名を知られるケン高野氏にデザイナーとしてのアサダ氏について語ってもらった。

ケン高野氏(右)とアサダ氏(左)
ケン高野氏(右)とアサダ氏(左)

「ミニカーやプラモデルを作る際、デザイナーにもっとも強く求められるのはデフォルメのセンスです。ご存知だと思いますが、ミニカーは実車をそのまま縮小したサイズになっているわけではありません」

「各所の絶妙な『縮尺度合い』ですべてが決まるのだと思います。そこにはやはり実車への知識やこだわりが必要で、それらがなければ作品に何の説得力も満足感も得られないでしょう」

「幼少期からプラモデルやラジコンによって刷り込まれたTOYとしてのデザインセンスと、クルマ好きな両親から受けた実車としてのデザインセンスは、ホットウィールというブランドによって昇華し、HWにもっともふさわしいデザイナーを作り上げました」

「リュウさんは本当に知識が豊富でいろいろ教えてもらえて、実車の話もできました」

「何より人となりが素晴らしかったですね。そして本当に強い意志を持った人でした」

「ある日、久しぶりに待ち合わせをして会った瞬間、ダイエットの痩せ方ではないと見てわかる痩せ具合でした」

「わたしが『体調どうですか?』と尋ねたところ『あれ? ケンさんに言ってませんでしたっけ? 僕大腸がんでステージ4なんですよ』って笑顔で」

アメリカにおける日本車ブームの懸け橋に

「話は続き、『放射線治療が自分には合っていて、この病と闘い続けますよ』と非常にポジティブに笑顔で語ってくれました」

「その後も一切弱音を吐かず、僕の癌や死に対するネガティブな考えさえもはねのけて、続々とリュウ・ワールド全開なホットウィールをリリースし続けてくれました」

リュウ・アサダ氏の追悼ドライブに集まったクルマの中にも、ホンダ・プレリュードがあった。
リュウ・アサダ氏の追悼ドライブに集まったクルマの中にも、ホンダプレリュードがあった。

「このまま生き続けてくれるのではないかと思えるほどパワフルでした」

「リュウさんは大切な友人であり、最後の最後まで戦い続けた素晴らしい、日本が大阪が誇るアメリカンドリームを手に入れた身近な人として、尊敬できるホットウィール・デザイナーであり、カーデザイナーの1人だと思います」

「アメリカにおける日本車ブームの懸け橋となっている存在には間違いありません」

最後に高野氏に数多くのアサダ作品の中からもっとも魅力あるホットウィールを選んでもらった。

2020年に発売された「1998年式ホンダ・プレリュード」である。

「どれも素晴らしいのですが、僕個人はやはりリュウさんの家族の思い出がたくさん詰まったプレリュードですね。彼の人生のすべてが詰まっている1台だと思います」

このプレリュードには大阪ナンバーがついている。

アサダ氏のご両親が実際に所有していたプレリュードと同じナンバーだという。

デザイナーの両親が所有していたクルマと同じナンバーをミニカーにつける……この自由度の高さはさすが、である。

記事に関わった人々

  • 加藤久美子

    Kumiko Kato

    「クルマで悲しい目にあった人の声を伝えたい」という思いから、盗難/詐欺/横領/交通事故など物騒なテーマの執筆が近年は急増中。自動車メディア以外ではFRIDAY他週刊誌にも多数寄稿。現在の愛車は27万km走行、1998年登録のアルファ・ロメオ916スパイダー。クルマ英才教育を施してきた息子がおなかにいる時からの愛車で思い出が多すぎて手放せないのが悩み。

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