【連載:清水草一の自動車ラスト・ロマン】#38 フロアMTの魔力!B210サニークーペ

公開 : 2026.08.07 12:05

自動車はロマンだ! モータージャーナリストであり大乗フェラーリ教開祖の顔を持つ清水草一が『最後の自動車ロマン』をテーマに執筆する、隔週金曜日掲載の連載です。第38回は『フロアMTの魔力!B210サニークーペ』を語ります。

思えば遠くへ来たもんだ!

マイクロ・デポのタコちゃん(岡本和久代表)が、猛暑による過労(推測)で入院し、大貴族号(先代マセラティクアトロポルテ)の車検完了時期が見えなくなったと思ったら、直後に奥様(タコヨメ)から「車検完了してます!」と連絡が入り、練馬のマイクロ・デポ本社で車両を受け取ることができた。

ひょっとしてタコちゃんは、大貴族号の整備が終わった瞬間に倒れちゃったりしたのだろうか……(想像)。ああ自動車ラスト・ロマン。涙が出る。

最初に乗り回したクルマは、中古の『ダットサン・サニークーペGL』!(写真は別モデルです)
最初に乗り回したクルマは、中古の『ダットサン・サニークーペGL』!(写真は別モデルです)    日産自動車

マイクロ・デポからの帰路、大貴族号で環八・井荻トンネルを走りながら、これまで乗ってきたクルマたちが、走馬灯のように蘇った。18歳で自動車免許を取ってから早46年。私にとって大貴族号は、55台目の愛車。思えば遠くへ来たもんだ。

私が最初に乗り回したクルマは、父が姉のために買った中古の『ダットサン・サニークーペGL』(3代目のB210型)だった。私と姉とで共同で乗りなさい、ということになったのである(自分は一銭も出していないので、愛車リストには入っていない)。

それは真っ赤なクーペで、妙にお尻が高く、そのお尻がスパーンと切り落とされたようなフォルムだった。今思えば、あのお尻はコーダトロンカだったのかもしれないが、そんなオシャレな用語とは3万光年くらい離れた、いかにも安っぽいクルマだった。今見ればレトロでカッコいいかもしれませんけど、当時私は「ものすごく不格好だなぁ」と思っていた。

『俺たちの旅』って感じのクルマ!

エンジンは1200ccのA12型、ミッションは4速MT。クーラーなし。今なら「スパルタンなライトウェイトクーペ!」みたいなことになるかもしれないが、当時は、いかにもニッポンの貧しい若者が乗りそうな、『俺たちの旅』って感じのクルマだった。

そのサニークーペに乗るまで、私は特段クルマ好きではなかった。免許を取ったら、お尻の高い不格好なクーペより、母の日産ローレル(3AT)でゆっくり走ろうかな、くらいに思っていた。

今ならスパルタンなライトウェイトクーペ!
今ならスパルタンなライトウェイトクーペ!    日産自動車

思えば私が通った教習所の教習車は、日産セドリックのコラムMT車だった。フロアMTじゃないよ、コラムMTだよ! ハンドルの付け根左側にレバーが生えてて、それを押したり引いたりしながら、上や下へ動かして変速するんだよ! 今じゃそんなもんが存在したことも知らない人が多いでしょ? あれを思い出すと、自分がものすごい年寄りみたいな気分になる。MTの変速がカッコイイ的な思いもゼロだった。

しかしサニークーペはフロアMTだった。床から生えてるレバーを操作して変速するのは、おっさん臭いコラムMTに比べると、だいぶカッコいいような気はした。なんとなく。

記事に関わった人々

  • 執筆

    清水草一

    Souichi Shimizu

    1962年生まれ。慶応義塾大学卒業後、集英社で編集者して活躍した後、フリーランスのモータージャーナリストに。フェラーリの魅力を広めるべく『大乗フェラーリ教開祖』としても活動し、中古フェラーリを10台以上乗り継いでいる。多くの輸入中古車も乗り継ぎ、現在はプジョー508を所有する。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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