自転車だけじゃなかった ビアンキ40HP 1907年生まれのイタリアン 前編

公開 : 2022.03.27 07:05

本来の能力を求め徹底的なレストア

イベント後、エドワード王時代(1901~1910年)のクルマを探し始めました。そして、オランダで見つけたのがビアンキ40HPです」

オーナーと取り引きが成立し、2014年に英国中部、コッツウォルズの自宅へクルマが到着。親子は早速、英国のビテージ・スポーツカークラブ(VSCC)が開催する、プレスコット・ヒルクライム・レースへ出場した。

 ビアンキ40HP(1907年/英国仕様)
ビアンキ40HP(1907年/英国仕様)

「地元の開催で、参加を決めました。ビアンキはエンジンオイルが滴っていて、55km/hを出すのがやっとでしたね」。とピーターが話す。

「走る度に整備しましたが、その日のイベントでは最も遅いタイムを出すほど。帰り道、燃料ポンプの圧力がなくなり道端で止まりました」

修理の傍ら、ロバーツ親子はビアンキの歴史を調べ始めた。ビッグフォーとも呼ばれる40HPの能力を取り戻すべく、徹底的なレストアにも取り組むことにした。

「このクルマは、20世紀初頭におけるエキゾチック・モデル。当時存在していたイターラや、フィアットより高価だったんです」。ルークが説明する。

「ビアンキは、ミラノやトリノで成長を初めていた自動車産業の、初期メンバーの1社でした。エンジニアのジュゼッペ・メロシ氏も、アルファ・ロメオへ入社する前にビアンキで働いていたんです。後に彼は、RLというレーシングカーを設計しています」

マセラティを創業した、アルフィエリ・マセラティ氏もライバル。現存するクルマは殆どありません。アメリカに、もう1台の40HPがあるようですが」

同時期のメルセデスと似た構造も

「ビアンキは、デザインや製造品質がとても高いことは明らかでした。プレスコット・ヒルクライムでは、メルセデス40HPが隣に並ぶ機会がありましたが、デザインが似ていると感じました。コピーのように」

ブランドの歴史については、情報が限られ調べが進まなかった。一方、レストアには専門家の助けが必要なことは確実で、クレイグ・コリングス氏に協力を仰いだ。

 ビアンキ40HP(1907年/英国仕様)
ビアンキ40HP(1907年/英国仕様)

エンジンはブロックは残されたが、内部部品を一新。小さなキャブレターは、ロールス・ロイス・シルバーゴストに搭載されたものに近い、ゼニス社製へ置き換えられた。

プラグは8本で、ボッシュ社製のツインスパーク用マグネトーが組まれている。構造がシンプルという点がメリットだ。「ツインスパークは飛行機に適しています。リビルドでパフォーマンスは一変しましたよ」。ルークが振り返る。

分解作業で、ギアボックスやハブ、スプロケット、ステアリングホイールなどが、メルセデスと似ていることもピーターは発見した。1速と2速がドライバー側の、Hパターン・ゲートとウェットクラッチ以外、共通しているように見えたという。

40HPのフロアにペダルが4枚並んでいるが、2枚はブレーキ。片方はインプットシャフト側につながっていて、もう一方はドライブ・スプロケットにつながっている。

「通常はリアタイヤ側を制動させる、ハンドブレーキを使います」。フットブレーキ・ペダルは緊急用らしい。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

自転車だけじゃなかった ビアンキ40HP 1907年生まれのイタリアンの前後関係

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