汗と、血と、涙のドラマを繰り広げた『アドバン』 横浜ゴムのパブリックイメージ【サイトウサトシのタイヤノハナシ 第25回】
公開 : 2026.10.21 12:05
過去の名作CMたち
たぶん1970年代から80年代前半頃だったと思いますが、CMの最後に女性の声で「GTスペシャル」とささやくのが、不思議と記憶に残っています。
CMといえば横浜ゴムのCMは名作ぞろいです。

インテック、アスペック、グランプリのCMで、ニキ・ラウダ+寺尾聡のSHADOW CITY、ルビーの指輪。井上鑑のGRAVITATIONS、レティシア。ポール・フレール+稲垣潤一のドラマティック・レイン、ロング・バージョン。阿部恭弘のWe Got It!、鈴木雄大のレイニー・サマー。ロビン・ハード+稲垣潤一のバチェラー・ガールなど、ムード満点の走行映像とサウンドで、独特の世界観を見せてくれました。
一方、アドバンのCMといえばレースシーンの映像と「Get a step ahead」のナレーションが記憶に残っています。このひたむきにレースに向かい合うCMイメージが、戦うタイヤのイメージを強くしているのだと思います。
エコタイヤ構想は1990年代半ばから?
そんな横浜ゴムですが、エコタイヤにいち早くアプローチしたメーカーでもあります。
年代の記憶が曖昧なのですが、確か1990年代半ば頃だったと思います。横浜ゴムの関係者から、「省燃費タイヤをうち(横浜ゴム)がやるとしたらどう思います?」といったニュアンスの会話をしたのを覚えています。オフィシャルな席ではなく、ほんの立ち話程度の会話でした。

その時、省燃費タイヤはドライ/ウエットグリップが悪く、悪いイメージしかなかったこともあって、「転がり抵抗を少なくするより、操縦安定性のほうが大事じゃないですか」みたいな受け答えをしたと思います。
今から考えると、まるで先見の明も洞察もない答えで恥ずかしい限りです。
ちょっとだけ言い訳すると、1990年代のクルマを取り巻く社会状況を見ると、各メーカーが排ガス対応に追われ、希薄燃焼をやり出したのと一致します。当然、希薄燃焼エンジンの、結果としての燃費は、タイヤの転がり抵抗に大きく左右されますから、当時、自動車メーカーからタイヤメーカーに相当無茶な要求性能のオーダーが行っていたはずです。
最初の量産省燃費タイヤが登場したのは1998年
実際、優秀な燃費データを示すため、操縦安定性を犠牲にした 『低燃費グレード』が存在し、ウエット性能のあまりの悪さから、低転がり抵抗タイヤのイメージはとことん悪くなっていました。
こんな状況の中、あるいは困難状況を受けて、横浜ゴムの中で省燃費タイヤのプロジェクトが動き出していたんじゃないかと思います。

ちなみに、横浜ゴムの最初の量産省燃費タイヤであるDNA ES01/ES02が登場したのは、1998年になります。
ここから横浜ゴムは、走りと燃費の2枚看板を持つタイヤメーカーとしてスタートを切り、現在その強みを発揮しながら進化を続けています。
冒頭、スーパーフォーミュラ用スリックタイヤを横浜ゴムがワンメイク供給していると書きましたが、このタイヤは、再生可能原料とリサイクル原料の占める割合が46%という、超サスティナブルなレーシングタイヤでもあるんです。
今や走りと環境は別々のものではなく、複雑に絡み合っているのです。横浜ゴムはそれを最先端の現場で実践しているというわけです。








