ブリヂストン吹奏楽団久留米が70周年!『最高の品質で社会に貢献』の志は、音楽でも

公開 : 2025.12.10 11:45

ブリヂストンに吹奏楽団があるのはご存じでしょうか。今年創団70周年を迎え、コンクールで金賞を取り続ける同団に話をうかがいました。

団員全員がタイヤ製造のプロ

タイヤメーカーのブリヂストンが有する音楽団体『ブリヂストン吹奏楽団久留米』が今年創団70周年を迎え、サントリーホールで記念コンサートを開催。その翌日、普段は九州で活動するメンバーが、都内で取材会を行った。

同楽団は、1955年に団員22名でスタート。2年後の1957年には吹奏楽コンクールに初めて出場し、1970年に金賞を獲得して以来、今年までの55年間に計39回の金賞受賞という、団体最多記録を誇っている。

ブリヂストン吹奏楽団久留米(左から坂上氏、安丸氏、古川氏、山根氏、岩佐氏)。
ブリヂストン吹奏楽団久留米(左から坂上氏、安丸氏、古川氏、山根氏、岩佐氏)。    AUTOCAR JAPAN

全日本吹奏楽コンクールで金賞を取り続けるということは、並大抵なことではない。大会では金・銀・銅の各賞を与えられるが、2025年の全国大会で見ると、金賞を受賞しているのは出場26団体中12団体。その他の年でも、金賞は3分の1かそれ以下だ。

この楽団の最大の特徴は、楽団員61名全員がブリヂストンのタイヤ工場に勤務しているということ。久留米工場もしくは鳥栖工場で、日々、タイヤの製造に励んでいる。

3交代勤務で、繁忙期には残業もこなしながら、週に3回の全体練習のほか、パート練習、個人練習の時間を確保している。

就業前後に行う練習は平均2時間。これが可能な理由は、楽団員全員のシフトを同じにするという勤務体制の工夫にある。さらに、コンクールや演奏会で全員が休まなければいけない場面では他の従業員がカバーに回るなど、会社全体でサポートしているという。まさに全社一丸となった取り組みなのだ。

入団希望者は全国から集まる

団員の平均年齢は29.8歳。みんな中高時代から吹奏楽部に所属し、仕事と音楽を両立したいという思いで入社してくる。入社試験には、通常の筆記などに加え、楽器演奏(課題曲・フリー)もある。ちなみに楽器によって配属部署が考慮される(例えば、オーボエだから細かな作業とか、ユーフォニアムだから重たいものを扱うなど)ということは全くないそうだ。

団員の出身地は九州を中心に、大阪、愛知、遠くは北海道と幅広い。入団を決めたきっかけはさまざまで、ホルンの古川隼氏の場合は、もともとクルマが好き、というところからだ。学生時代に所属していた地元の吹奏楽団にブリヂストンのメンバーがいて、初めてその存在を知り、クルマ関係かつ音楽の仕事として興味を持ったという。

サントリーホールで行われた公演は大盛況だったそうで、取材会で感動を伝える記者もいた。
サントリーホールで行われた公演は大盛況だったそうで、取材会で感動を伝える記者もいた。
    ブリヂストン

チューバの岩佐翔平氏は、偶然の出会いで運命が変わった。高校3年生の時、『音楽の仕事がしたい』と思っていたなか、ブリヂストン吹奏楽団久留米の演奏を聞く機会があった。そのサウンドに感動し、終演後にそのまま舞台裏に行って、「どうにか入れませんか」といきなり掛け合ったというからドラマティックだ。

学生時代に演奏に打ち込み、それを生業にしたいと思った時の選択肢として、この楽団が持つ意味は大きい。

アルトサックスの山根大生氏の「『音楽で生きていきたい』と思っても、社会人になって一般の仕事と両立していくことの難しさを考えたとき、すでに楽団に所属していた先輩のことを思い出した」という言葉から、将来を考える若者にとってこの活動が光となっていることを感じる。

クラリネットの安丸晴輝氏は「毎年、全日本吹奏楽コンクールで金賞を取るという実力に惹かれました。ブリヂストン吹奏楽団久留米の演奏後には、まるでライブ会場のような熱気と、『ブラボー』の声が上がる。自分もあの歓声を受けてみたいという憧れがありました」と語る。

仕事の片手間では得られない栄光を掴むため、会社の協力のもと、彼らは努力を積み重ねている。「専業音楽家ではなくてもここまで音楽を突き詰めていくという姿勢に、共感していただいているのではないでしょうか」という古川氏の言葉に、その矜持がうかがえた。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    AUTOCAR JAPAN

    Autocar Japan

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の日本版。

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