汗と、血と、涙のドラマを繰り広げた『アドバン』 横浜ゴムのパブリックイメージ【サイトウサトシのタイヤノハナシ 第25回】

公開 : 2026.10.21 12:05

タイヤの達人・サイトウサトシが、30年以上蓄積した知識やエピソードを惜しみなく披露するブログ。第25回は横浜ゴムのパブリックイメージについてです。

スーパーフォーミュラに横浜ゴムがタイヤを共有

先日、富士スピードウェイでマッチ(近藤真彦さん)にお会いしてきました……なんて書くと、オジサンのミーハーで痛いコメントにしか見えませんが、当日は国内トップカテゴリーのフォーミュラカー・レースであるスーパーフォーミュラ9、10戦の開催日。そして、スーパーフォーミュラを主宰する日本レースプロモーションの現在の取締役会長が近藤真彦さんなのです。

ちなみに、現在スーパーフォーミュラは横浜ゴムがワンメイクスポンサーとして、すべてのタイヤを供給しています。

こちらの勉強会の模様は、近日別の形でレポート予定。
こちらの勉強会の模様は、近日別の形でレポート予定。    横浜ゴム

この日、横浜ゴム主催のレーシングタイヤ勉強会が行われ、挨拶のために登壇してくれたのがマッチだったというわけです。勉強会の内容は別の機会にレポートしたいと思いますが、ともあれ、そんなこんなで久々に富士スピードウェイに行って、レースの雰囲気を楽しんできたのでした。

赤と黒のアドバン・カラー

横浜ゴムといえばスポーツタイヤブランド『アドバン』、アドバンといえば大胆に黒赤に塗り分けられたアドバン・カラー。様々なモータースポーツシーンで、アドバン・カラーは特別な存在感を放って来ました。

スポーツタイヤのアドバンが登場したのは1978年。同年にダンロップのフォーミュラが、翌79年にブリヂストンのポテンザが登場し、ここから日本のモータースポーツシーンで、タイヤの3大メーカーが三つ巴の戦いを繰り広げることになります。

このカラーリングを見ると心拍数があがります。まさに『体育会系スポーツタイヤ』。
このカラーリングを見ると心拍数があがります。まさに『体育会系スポーツタイヤ』。    横浜ゴム

その中で、もっとも強烈なインパクトを見せたのが、横浜ゴムのアドバン・カラーだったのではないかと思います。

アドバン・ブランドが異彩を放っていたと思うのは、デビューした翌年、79年のマイナーツーリングに、早くも黒赤のアドバン・カラーがエントリーしていたこと。それだけでなく、ラリーの世界でも79年にアドバン・ラリーチームが発足し活動を始めているのです。

しかもアドバン・カラーは、レース、ラリー、ダートラ、ジムカーナなどカテゴリーを問わず、抜群の速さ強さで活躍していたので、ことさら強く記憶に焼き付いています。

レースや競技フィールドで様々なドラマを繰り広げてきたアドバンには、『汗と、血と、涙のドラマ』があり、『体育会系スポーツタイヤ』がぴったりのスポーツタイヤブランドだと思っています。

もっとも、近年ではアドバン・ブランドはグローバルタイヤブランドとしてぐっと洗練されたものになっています。

その歴史は109年にもなる

横浜ゴムの歴史は古く、紐解いてみると、1917年10月に横浜護謨製造株式会社としてスタートを切っていますから、すでに109年の歴史があります。

当初は、米国BFグッドリッチ社との合弁会社として設立した経緯もあって、1920年には最初の工場である平沼工場(横浜市)でコードタイヤの第1号を製造。21年に日本初のコードタイヤ『ハマタウン・コード』を開発します。

レーシングタイヤ勉強会で登壇したマッチこと近藤真彦さんの芸歴は47年。今年で62歳です。
レーシングタイヤ勉強会で登壇したマッチこと近藤真彦さんの芸歴は47年。今年で62歳です。    斎藤聡

ちなみにコードタイヤというのは、従来のキャンバス地(布)を使っていたものに対して、繊維(コード)を用いたもので、それにより柔軟性を高めるとともに、タイヤの寿命を大幅に伸ばすことに成功しました。

その後も1933年、パンクに強いゴールデンプライタイヤの発売や、1954年日本初のスノータイヤ『Y-29』の発売、1955年日本初のチューブレスタイヤ『ハマセーフティ』と『ハマライナー』の発売などを経て、1971年に発売になった、日本初の乗用車用スチールラジアルチューブレスタイヤ『GTスペシャル』につながります。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    斎藤聡

    1961年生まれ。学生時代に自動車雑誌アルバイト漬けの毎日を過ごしたのち、自動車雑誌編集部を経てモータージャーナリストとして独立。クルマを操ることの面白さを知り、以来研鑽の日々。守備範囲はEVから1000馬力オーバーのチューニングカーまで。クルマを走らせるうちにタイヤの重要性を痛感。積極的にタイヤの試乗を行っている。その一方、某メーカー系ドライビングスクールインストラクターとしての経験は都合30年ほど。

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