【たった1度の優勝で散った】フォーミュラ1のレーサーまとめ 前編

公開 : 2019.12.21 07:50  更新 : 2021.07.12 18:32

ジャンカルロ・バゲッティ(1961年フランスGP)

イタリア、ミラノ生まれのジャンカルロ・バゲッティは、F1に参戦すると早々に優勝を挙げ、その後も長く称賛を得ると考えられていた。しかし実際は結果が振るわず、彼のキャリアも終わりを迎えてしまった。

F1デビュー戦に優勝を挙げたドライバーは、これまでに3名のみ。1950年のF1が始まった時に初めて優勝したジュゼッペ・ファリーナ。F1自体が初めてだったから、初参戦で優勝は当然でもある。同じ年にはジョニー・パーソンズが、F1のアメリカ・グランプリとの共催となったインディ500で、優勝をしている。

ジャンカルロ・バゲッティ(1961年フランスGP)
ジャンカルロ・バゲッティ(1961年フランスGP)

バゲッティは1961年のフランス・グランプリでフェラーリ156「シャークノーズ」をドライブし初優勝を挙げているが、デビューウィンはF1の歴史で10年以上の間をおいた快挙だった。しかしその後、残念にも再び勝利を挙げることはできなかった。

フランスでの優勝も、ダン・ガーニーがドライブする2位のポルシェ718との差はわずか0.1秒という僅差。1967年までキャリアを続けたバゲッティだが、初戦以降、表彰台に立つことすら叶わなかったのだ。

初優勝の翌年、1962年シーズンにはフェラーリからATSへと移籍しているバゲッティ。F1でのキャリアの終りが見えた移籍でもあった。

マニアな小ネタ

バゲッティはレースドライバー引退後はフォトグラファーとなり、プレイボーイ誌などで活躍していた。

ロレンツォ・バンディーニ(1964年オーストリアGP)

リビア生まれのイタリア人、ロレンツォ・バンディーニはレースドライバーとして完璧な素質を持っていた。まず名前の聞こえが速そうだ。しかもラテン気質は、ドライバーに向いていた。

スクーデリア・フェラーリのマネージャー、エウジェニオ・ドラゴーニによって、チームメイトのジョン・サーティースを差し置いて有名になったという経歴も面白い。確かに優れた才能を備えていたものの、F1でのステータスを登り詰めることはできなかった。

ロレンツォ・バンディーニ(1964年オーストリアGP)
ロレンツォ・バンディーニ(1964年オーストリアGP)

1964年、ツェルトベク飛行場をサーキットとしたオーストリア・グランプリで優勝を果たす。1966年、フランス・グランプリとアメリカ・グランプリでは、機械系の故障でリタイアするまでは、レースをリードしていた。

スポーツカーレースでも活躍しており、1963年のル・マンではルドヴィーコ・スカルフィオッティとともに優勝。1965年のシチリア島でのレース、タルガ・フローリオでは、ニーノ・ヴァッカレッラとともに勝利している。さらに1967年のデイトナ24時間とモンツァ1000kmでも優勝を挙げた。

1967年のモナコ・グランプリで、フェラーリ312をドライブ中にハーバーシケインでクラッシュ。バンディーニは大やけどを負い、悲劇的にも3日後に命を落としてしまう。彼の葬儀には10万人以上の参列者が集まったという。

マニアな小ネタ

皮肉にも事故死の1年前、映画グランプリの撮影に参加したバンディーニは、実際にクラッシュする同じ場所で、クラッシュシーンの撮影に参加していた。

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