【たった1度の優勝で散った】フォーミュラ1のレーサーまとめ 前編

公開 : 2019.12.21 07:50  更新 : 2020.12.08 10:56

華々しいF1レースで活躍した、歴史に名を残すドライバーたち。認知度とは裏腹に、優勝経験は1度だけというドライバーも少なくありません。熾烈なF1サーカスの中で、貴重な優勝を掴み取ったドライバーをご紹介しましょう。

もくじ

F1ドライバーはこれまでに800名足らず
ヨアキム・ボニエ(1959年オランダGP)
ジャンカルロ・バゲッティ(1961年フランスGP)
ロレンツォ・バンディーニ(1964年オーストリアGP)
リッチー・ギンサー(1965年メキシコGP)
ヨッヘン・マス(1975年スペインGP)

F1ドライバーはこれまでに800名足らず

text:Richard Heseltine(リチャード・ヘーゼルタイン)
photo:Motorsport images(モータースポーツ・イメージズ)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1950年以来、モータースポーツの世界最高峰に位置するフォーミュラ・ワン・グランプリでスタートを切れたドライバーは800人にも満たない。F1マシンに乗ること自体が、大きな偉業といえる。

ジュニア・フォーミュラの世界で活躍できたとしても、ステップアップしたF1で更なる成功を収められるとは限らない。最高峰のレースで勝利を挙げるには、ドライバーの才能だけでなく、運やタイミング、競争力の高いマシンやチームに加わるといった要素も重要となる。そして大量の資金力も。

リッチー・ギンサー(1965年メキシコGP)
リッチー・ギンサー(1965年メキシコGP)

将来を有望視されていても、様々な理由で表彰台の頂点に立つことが許されなかったドライバーも少なくない。反面、経歴が少なくても勝利に必要なすべてが揃い、シャンパン・ファイトを味わったドライバーもいる。

ニュージーランド人のクリス・エイモンは優勝できなかったが、ベネズエラ人のパストール・マルドナードは表彰台に立っている。結果がすべてだ。

今回はそんな熾烈なF1で、一度のみの優勝を勝ち取った10名のドライバーを紹介してみよう。不足要員的な扱いを受けたドライバーもいれば、2度目の優勝も狙えながら命を落とした潜在的スーパースターもいる。無慈悲な運命に導かれた、最高峰の舞台で戦ったドライバーたち。

ヨアキム・ボニエ(1959年オランダGP)

教養の高かったスウェーデン人のヨアキム・ボニエは、幅広い分野で大きな成功を収めた。アルファ・ロメオ「ディスコ・ヴォランテ」でのアイスレースも有名だが、トップ争いに関わる機会は少なかったが、F1にも出場している。

1959年のオランダ・グランプリでは、BRM初のF1優勝を成し遂げている。世界最高峰の舞台では16回目のスタートで達成した優勝。その後も1971年までグランプリには参戦し続けた。レーサー引退後はプライベートチームを運営し、自らもドライバーとしてレースに参加し活躍している。

ヨアキム・ボニエ(1959年オランダGP)
ヨアキム・ボニエ(1959年オランダGP)

ボニエの活躍としては、数年間に渡って力を入れた、スポーツカーでの経歴の方が有名かもしれない。1960年にシチリア島で開かれたレース、タルガ・フローリオで、ハンス・ヘルマンとともにドライブしたポルシェ718で優勝。

2年後のアメリカ、セブリング12時間レースでは、ルシアン・ビアンキとともにフェラーリを駆って勝利している。また1970年には、ヨーロッパ2.0Lスポーツカー・チャンピオンシップでも優勝を挙げた。

しかし彼は1972年、ル・マンで命を断つ。彼のローラ・コスワースは、スイス人のアマチュアレーサー、フロリアン・フェッチがドライブするフェラーリと接触し、クラッシュしたのだ。ボニエがドライブするコスワースは衝撃でバリアを飛び越え、樹木へと衝突し大破した。

マニアな小ネタ

F1での活躍は振るわなかったが、ボニエはグランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(選手会組織)の設立に重要な役割を果たした。またサーキットでの安全活動にも積極的だった。

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